柔らかな救い

「やっぱタイスケさんが来てから風呂が快適だな」
満足げな笑みを浮かべたまま、肩に掛けたタオルの両端を握り締めて自室へ戻ってきたハーヴェイは、自室の扉を開けてきょとりと目を瞬かせた。
シグルドが部屋にいるのはいい。ここは2人の部屋だ。
彼がベッドに腰掛けているのもいい。この部屋で座れる場所は椅子かベッドしかない。
彼が頭を抱え込んでいるのもいい。誰だって悩むときくらいある。
だがそれが、ハーヴェイが風呂へ向かう半時間前と同じ状態というのはどうだろう。
ちょっと、そうそうあることではないように思える。
軽く首を傾けつつ室内に入り込み、扉を閉める。
「まだ気にしてるのか?」
隣に腰を下ろして、スプリングの軋む音を聞きながらひょいと顔を覗きこむ。
両手が顔を覆っていて表情は窺えない。
それでも変わらず脇から覗き込んだままハーヴェイが言葉を重ねる。
「あんな奴、気にすることねェよ。この船に乗ってる間は大人しくしてるって言ってんだし」
事もなく言ってのけられた言葉にシグルドがのろのろと面を上げる。その目は昏い。
「船に乗っている間は?―――そうだな、俺が制裁を受けるとすれば、全てが終わったあとだろうな」
口許に薄い自嘲の笑みを浮かべての言葉にハーヴェイが眉を顰めた。
「相変らず過去のこととなると暗くなりやがって…」

ミドルポートに着いたのは今日の昼過ぎだった。
ミドルポートといえばシグルドの故郷である。
だが懐かしいかと言われればそんなこともなく――― 寧ろ昼過ぎにミドルポートに上陸すると聞いた彼のテンションは朝から低かった。
3年前にシグルドはキカ海賊一味に入った。
その経緯は当時、ミドルポートの領主直属のお抱え艦隊の隊長であった彼が、海賊との海戦の最中に捕虜として捉えられたことにある。
海賊退治をする一方で、自らが海賊まがいの行為を領主命令によりせざるを得なかったシグルドはそのことにうんざりし、抵抗するでもなく殺される事を享受しようとしていた。
タイミングが良かった、というのだろうか。
彼が捕虜となった数日後、その海賊を今度はキカ達が襲った。
義賊であるからして、対象が同業者であることは珍しくない。
結果、図らずしもシグルドを助けることになったのである。
それを機にシグルドはキカの一味となり、結果としてはミドルポートを裏切ることになったのだ。
以来、この周辺に近寄ろうともしなかったのだ、当然戻ってきたのも3年振りである。
罪悪感や後ろめたいものがあるのだろう。
そのため陸に立つ事を辞退したものの…意地の悪いこの船の船長は、そんなことはお構いなしに連れて行き―――港で早くも昔の知り合いだったという人物に会ったのだ。
そして凹んでいたのも束の間、別行動を取っていた間に船長こと、カイリは彼をこの船へと乗せたのである。
それが、シグルドが頭を抱え込んでいる理由である。

「だってほら、あれだろ?宿星?それに入ってんなら仕方ねぇだろ」
何やら詳しくは知らないが『宿星』というものがあるらしい。
時が巡れば天魁星という宿星を持つ者を中心に、その者を含めて108人集まる…らしい。
以前に一度、そのような話を聞かされたが正直なところ、あまり理解はしていない。
ほとんど興味がないのも理由の一つであろうが。
一応自分の星くらいは覚えている。地猛星、というはず。
因みにシグルドは地奇星といって、代々この2つの星はセットとして見られるらしい。
よく分からないのだが、シグルドとセットというのは何となく嬉しいのでよしとする。
「おーい、シグ?シグルド?」
どうやら回想に耽っている間にまた沈んでしまったらしい。
沈黙するシグルドの前でぱたぱたと手を振ってみるも反応はない。
少し首を傾けてからベッドから降り、シグルドの前で向かい合うようにしてしゃがみ込んでみる。
膝の上に両肘を乗せ、頬杖をつきつつじっと見上げてみるも反応は矢張りない。
面白くないものを感じつつ、ハーヴェイは小さく溜息を漏らした。
「そうやって考えてても仕方ねェじゃん。あのおっさん…キーン、だっけ?が、この船に乗ったのは事実で変えようがねェんだから。今更逃げても隠れても無駄なんだからさ、『それがどうした』って胸を張って構えてればいいじゃねェか」
だろ?と首を傾ければ、漸くと声が届いたらしくシグルドがのろのろと頭を上げる。
まだ昏い色をしてはいるものの、きちんと瞳がぶつかる。
そのことに満足しつつ、ニッと笑えばそのまま言葉を続ける。
「安心しろって。あんな奴にお前をどうこうさせやしねェから。大体そんなことをキカ様が許すわけねェだろ?」
それに俺もいるし、と請け負うように強く胸を叩く。
「ハーヴェイ…」
「あン?」
掠れた声で不意に名を呼ばれ、何だとばかりに目を向けたところへ、まるで倒れるようにシグルドの体が覆い被さってきた。
「ちょっ…!?」
何事かと慌てて体を支えるハーヴェイの背に腕が回される。
「…ありがとう…」
消え入りそうなほど小さく、それでも確かに耳元で囁かれた言葉に苦笑を浮かべ、同じように背へと回した手でぽんぽんと背を叩く。
「礼なんかいらねェよ。当たり前のことだろうが」
抱きつかれた反動で尻餅をついたまま、膝立ちで抱きついてくるシグルドを宥める。
こいつは過去のことに関しては酷く弱いから。
あっけなく壊れるんじゃないかと思うほど脆く、儚く見えるから。
だからこうして傍にいてやりたいと思うのだ。

「もう平気なのか?」
「ハーヴェイ、髪を拭け」
此方を無視しての言葉に、嫌がらせのように濡れたままの髪を首筋へと擦り付けてやる。
顔は見えないが、何となく眉を顰めた気がした。それから此方も無視し返して自分のペースで話を進める。
「背中でも洗ってやろうか?」
「随分寒くなってきたから風邪を引くぞ」
それぞれのペースで話をするから当然ながら噛み合わない。
「なら、一緒に風呂に入ればいいだろ」
背中も洗えるし、湯冷めも防げるし互いの会話に上手く噛み合った。
首筋に両腕を巻きつけ、歩くシグルドにずるずると引きずられるように後ろについていたハーヴェイが、階段で身長差が小さくなったのをいいことに背後から顔を覗き込んだ。
「ハーヴェイ、危ないから…」
階段の途中で、前へと体重をかけるように覗き込まれて、慌ててシグルドが注意をしかけたところでハーヴェイが屈託なく笑った。
「俺は、お前を守ってやるんだからな」
にっと笑いつつ告げられた言葉に暫し言葉を失ったシグルドは―――頬を朱に染めてからくるりと正面へ向き直ると無言のまま階段を降りはじめた。
一方、訳が分からないのはハーヴェイである。
正面に向き直る前に顔が赤くなった気がしないでもないが、その理由が分からない。
「シグルド?シグー?」
何度名を呼んでも返事もせず風呂場へと向かっていく相棒に、不思議そうに目を瞬かせながらハーヴェイはずるずると引きずられて行った。

書いたのはラプソ発売前でした…。