セミダブル

緩やかな揺れ。
こうして波があっても気にせず寝られるようになったのはいつからだ?
いつもは入ってくるはずの光がないがもう朝か?
寝ぼけた頭でどうでもいい事を考えながら目許を擦る。
「…ん?」
随分とベッドが狭い気がする。指先に当たったものの正体を確かめようと『それ』を覗き込み ―――
「なっ、でっ…!?」
驚いて飛び起き、すぐ後ろにあった壁に力いっぱい後頭部をぶつけた。
訳が分からないままの激痛にぶつけた箇所を押さえ、頭を抱え込むようにベッドの上で悶絶しているところに『それ』が起き上がった。
「何だ…?」
ぼんやりと問いかけてくる青年にハーヴェイが慌てふためいて指を差す。
「なっ、な…何だ?じゃねェ!何でお前が俺のベッドで寝てるんだっ!?」
喚くかのような問いにも動ずることなく、むっくりと上体を起こしたシグルドは眠そうに大きな欠伸を漏らした。
「やれやれ…相変らず朝は早いくせに寝ぼけ癖のある奴だ。大体ここはグリシェンデじゃないだろう?」
「………あァ?」
言われた内容が今ひとつ理解できず、室内へと目を向ける。
確かに自分の部屋ではない。
というか、グリシェンデ号にこのような部屋はない…と認識した途端に昨日の事を思い出した。
「あー…何かオベル国王とその金印を持った小僧が来て…」
クレイ商会を潰すためにキカが手を貸し、そのためにこの巨大オベル船に乗り込み。
「…そうか、2人部屋にセミダブル…」
昨夜、初めてこの部屋に入ったときのやり取りを思い出してハーヴェイはがっくりと肩を落とした。

「絶対に部屋割り間違ってるよな…」
「何だ、まだ不満なのか?」
朝食後、することもなしに甲板へと出てきたハーヴェイは手すりに頬杖をついたままぼやいた。
隣に立つシグルドが呆れたような眼差しを送る。
船の進行は順調だ。波は穏やかで風は追い風。
時折モンスターが出てはいるがそれはいつものことだし、天気も程々に良い。
波の音に風を切る感覚。海に生きるものとしてはどれも馴染み深いし、それだけに気分も良い。
が、どこかすっきりしない。
まだ納得がいかないからだけではなく、目覚めの悪さや未だずきずきと痛む後頭部のせいもあるだろう。
「男2人でベッドインだぞ?雑魚寝の方がまだマシだ。お前は嫌じゃないのか?」
自らの言葉にぞっとしないとばかりに、思わずと体を震わせてからその想像を追い払うように大きく首を振る。
その様子を見ていたシグルドは不思議そうに首を傾ける。
「何故お前がそんなに嫌がるのか分からないが…」
そこで一度言葉を切り、真剣な表情でハーヴェイに視線を向ける。
「お前は、そんなに俺が嫌いか?」
責めるでも悲しむでもなく、事実を淡々と尋ねてくるのが何とも彼らしいが、それが反対にハーヴェイを慌てさせた。
「そ、そんな訳ないだろっ?ただ普通に、常識で考えてみろよ」
先ずは否定してから唾を飲み、慎重に言葉を選んで問いかける。
矢張り不思議そうに首を捻ったシグルドは、少し考える素振りを見せてから改めてハーヴェイを見遣った。
「男が2人、同じベッドで寝るのは非常識なのか?」
「―――」
唖然として相棒の言葉を聞いたハーヴェイは、本日二度目の肩を落とした。
時折すっかり頭から抜け落ちるが、この男は天然なのだ。というよりも、私生活においてはどこか抜けている。
この男には通じない常識が存在するのだ。
よく言えば無垢なのだろうが、これはどう考えても物知らずというのではないだろうか。
吹く潮風にスカーフの端を揺らして黄昏る相棒にシグルドは何度目か、首を傾けた。

「何をやってるんだ」
「キカ様」
夕日など何処にも見当たらず、代わりに朝日に向かって黄昏る相棒の対応に困惑したシグルドの背中に言葉が投げかけられた。
聞きなれたハスキーヴォイスと、シグルドの呼んだ名を聞きつけたハーヴェイは一瞬で我に返った。
勢いよく振り返ればそこに立つのは腰に双剣を携えた女性。当然のことながらキカその人である。
先までオベル国王であるリノ・エン・クルデスと何やら話していたのだが、それを終えて船内から出てきたらしい。
「いえ、ハーヴェイの奴が…」
「何でもありません!それより何か用ですかっ?」
呆れたように肩を持ち上げたシグルドが口を開き、しかし途中でハーヴェイの手によって塞がれた。
そして何もない事をきっぱり断言してから、自分たちの船長がここにいる理由とを問いかける。
口を塞がれたシグルドは何事かと目を瞬かせてから、漸くと現状を把握すると普通の反応としてその手を剥がすためにもがいた。
が、ハーヴェイは意地でも離すまいとばかりに全力で押さえつけながらキカへと歪な笑みを向ける。
そんな部下2人の様子を、これもまた当然の反応として怪訝な眼差しで見ていたキカは、ハーヴェイの言葉に小さく頷いた。
「あぁ、モルド島に一緒に上陸して欲しいから来てくれとのことだ」
言われて視線を動かせば、確かに向こうの方に小さな島が見えた。
「分かりました。…えーと?」
「サロンだ」
問いかけるより先に返事が返ってくる辺り流石というべきか。
ハーヴェイが頷いたのを見届けたキカは踵を返し―――ふと思い出したように振り向いた。
「いい加減に離してやれ」
一言告げて直ぐに去ったキカの言葉に。
もがくことを諦め、大人しくなっていたがゆえに完全に忘れていたシグルドを漸くと解放した。

「だから悪ィってば」
モルド島の海岸を歩きながらハーヴェイが前を歩くシグルドに謝る。
因みにリーダーことカイリとジュエルは向こうの交易所にいる。
小さな島で、見所らしい見所といえば交易所と温泉くらいしかなく、ほかには曲がりくねった山道があるだけだ。
当然歩いて行ったところで何もない。それなりの高さはあるので景色はいいが、それくらいのものだ。
「うわっ」
不意にシグルドが足を止めたので、それに対応できずその背に突っ込む。
ぶつけた顔面をさするところにシグルドが振り返る。
「な、何だよ。まだ怒ってるのか?」
じっと真っ直ぐ見据えながらも無言のままの相棒に、流石に居心地が悪くなってやや怯みながらそろそろと問いかける。
その様子を見て緩く目を伏せたシグルドは小さく溜息を吐き出した。
「ハーヴェイ…矢張り俺は、何故お前がそんなに嫌がるのかが分からない…」
「………へ?」
真剣な眼差しで見つめられ、緊張の面持ちでそれを見返していたハーヴェイが真面目な口調で告げられた言葉に暫し沈黙、気の抜けた声を漏らした。
「俺は行ったことがないから知らないが、もしかしてガイエンでは男2人で1つのベッドに入ると縁起が悪いとか言われているのか?」
呆気にとられるハーヴェイの前で真剣に、しかし何処か不安げな表情で力説する。
「もしそうだとすれば、俺はお前にとんでもない事を強いていたということ―――…」
「ちょっ、ちょっ…ちょっと待った!お前、今までそれを考えていたのか…?」
「そうだが?」
もしや、と思いつつ尋ねればどうやら当たりだったらしい。
当然のように、他に何があるといわんばかりにきょとりと目を丸くされてハーヴェイが脱力した。
今までてっきり、口を塞いだ事を怒っているのだと思っていただけに脱力感は大きい。
何故か腹立たしくすら思えてくるのだから不思議なものだ。
だがそれはいい。それはさておき。
「ガイエンにそんな迷信はねェぞ…?」
「…そうなのか?俺はまたてっきり…。なら、何故駄目なんだ?」
目を瞬かせたシグルドは、心底分からないとばかりに問いかける。が、それを説明など出来るはずもなく。
「―――分かった。もう文句を言わなきゃいいんだろ…」
「いや、しかし…」
「いいから気にすんな」
諦めてぽつりと呟けば、何やら勘違いしているらしいシグルドが納得できないと言った声を漏らす。
それを押さえ込むように両肩に手を置いて詰め寄れば、流石の彼もその気迫に押されたかのように、こくこくと二度ほど頷いた。

「しかしあいつは本当に分かってねェんだろうな…?」
「何のことですか?」
食堂でスプーンを口に咥えつつ、いぶかしむように呟けば正面の椅子に問いを向けつつ少年が座った。
「カイリ様」
この船のリーダーである少年の名を呼べば、彼はちらりと先までハーヴェイが見ていたほうへと目を向けた。
「シグルド、さんが何か?」
言われたとおり、視線の先には頼んだ料理を受け取る相棒の姿。
まさか言うまいと思ったのだが、ふといい機会だとばかりに、ずいと机に身を乗り出した。
「カイリ様、俺らの部屋を何とかしてもらえませんか?」
「何とかって?」
きょとりと首を傾ける彼に、まだシグルドの姿が遠い事を確認してから顔を近づける。
「あのベッド…男2人で一つってのはちょっと…」
ぼそぼそと周囲の人々を気にしつつ囁けば、カイリは満面の笑みを浮かべた。
「あぁ、そのことですか。リノさんの意見を押し切ってハーヴェイさんのために、他の部屋と同じようにセミダブルにしてあげたんですから。頑張ってくださいね。―――あ、シグルドさん。こんにちは。さっきは有り難うございました」
事もなく言われた内容に頭がついていかずに眉を顰め―――人付きのする笑みを浮かべながら、漸く此方へと来たシグルドに話し掛ける姿を見て理解し―――それと同時に思考を停止させた。
「いやぁ…相変らず礼儀正しい………どうしたんだ?」
カイリと話し終え、彼がいなくなって机に皿を置きつつにこやかにハーヴェイに話し掛けたシグルドは、その話し掛けた相手が顔を引き攣らせて固まっているのに気付いて問いかけた。
当然の如く返事はない。
「ハーヴェイ?」凍ってしまったかのように反応のない相棒に、少し不安になって名を呼べば、今にも錆びた金属が立てる音を響かせんとばかりのぎこちなさでハーヴェイがシグルドへと目を向ける。
「…絶対みんな騙されてる!礼儀正しいとかそういうレベルでなくて…絶対腹黒だ!」
僅か頬の辺りを引き攣らせたまま声を荒げれば、食堂にいる人々の目が一斉に向けられた。

「本当に面白い人たちだなぁ」
「あ、カイリ。何処に行ったのかと思えば…何のこと?」
「うん、ちょっとね」
何やら静まり返っている食堂を背に機嫌よく去っていく友人の姿に、一人残されたジュエルは不思議そうに首を傾けた。

「2人部屋」の翌朝話。
ガイエンはハーの出身地。