「よいしょ…っと。メイミさーん、ここに野菜おいとくぜ」
「あぁ、いつもありがとうね、バーツさん」
どかっと野菜の入った樽を地面に置けば、ドアを開けてメイミがひょっこり顔を覗かせた。
その手にはお玉が握られている。
「メイミさんはいつも俺の野菜を美味くしてくれるからな!」
「あはは、おだてたって何も出やしないよ」
明るく笑った少女が、ふと何かに気付いたように室内に視線を戻す。
「あ、ちょっと待って」
一度キッチンに戻り、次に出てきたその手の中にあったのは、先程までのお玉ではなく小さな包み。
「ほらこれ。持っていきな」
「これは?」
「さっき作ったおべんとう。あんたの野菜で作ったやつだよ」
言いながら、メイミはキョトンとしたままのバーツの手に、半ば無理やり包みを握らせる。
「え、でもこれ…」
「いいからいいから。持っていきな」
バーツが更に言い重ねようとしたとき、奥からメイミを呼ぶ声が聞こえた。
どうやらレストランに客が来たらしい。
「それじゃお客さんみたいだから。またよろしく頼むね」
慌ただしく別れを済ませた少女が小さく手を振り、ドアを閉めた。
「うーん…これ売り物だろ?ほんとに俺が貰っていいのかな…」
メイミの仕事の邪魔をするわけにもいかず、閉じてしまったドアの前で立ち続けるわけにもいかず。
小さな包みを手に持ったまま、バーツはとりあえず己の畑に戻ってきた。
そして何気なく空を仰ぎ見る。
「明日も暑くなりそうだな。少し多めに水をやって…そろそろ肥料もやらないとな」
そして畑の前にしゃがみこむと、目の前の色づき始めた青いトマトに笑いかける。
「だんだん美人になってきたな。明日もしっかりとお陽さんを浴びるんだぞ」
そして次はナスの方へ向き、声をかける。その次はキュウリ。
何度か話しかけることを繰り返したところで、此方に歩いてくる人影に気付いたバーツが顔を上げた。
夜とは言え、そろそろ半袖でも汗ばもうという陽気の中。
真っ黒なコートに身を包み、真っ白な演劇用の仮面で顔を隠した人物。
変わり者の多いこの城の住人の中でも、これほど奇抜な姿の人間は一人しかいない。
「お、ナディールさんじゃん。こんなとこで会うなんて珍しいな」
やや俯き加減に、何事かを考えながら歩いていたらしい仮面の男がはっと我に返ったかのように顔を上げ、バーツの方に首を向けた。
「おや、バーツさん。とすると、ここは畑ですか」
ようやく現在地に気付いたらしい。
ナディールはきょろきょろと周囲を見回し、再びバーツに顔を戻す。
「いえ、次回の劇のキャストを考えていたんですが…あぁそうだ。バーツさん、また劇に出る気はありませんか?」
閃いたとばかりにぽんと手を打って、ナディールがバーツにずいっと詰め寄る。
「えぇ、俺ぇ!?いやいやいや、俺はもういいよ!ほら、畑もあるし!」
突然指名されたバーツが慌て、大きく両腕と首を振って身を遠ざける。
逃げられ、断られたナディールがどこか芝居がかった動きでがっくり肩を落とす。
「そうですか…いや、バーツさんが出られた時は評判が良かったもので…。でも嫌なら仕方ないですよね…」
「うっ…」
目に見えんばかりの黒い負のオーラをどんよりと放つ姿に、元々善人であるバーツの良心がちくりと痛む。
どうしたものかと頭をかきかけたところで、その手に持ったままの包みに気付いた。
もちろん、先程メイミにもらったおべんとうである。
慌てて包みを開き、その中のお弁当箱を開けたバーツは中身を確認する。
それから、いまだに負のオーラを出し続けているナディールの方へと向き直った。
「…そこまで言うなら、出てやってもいいぜ」
「えっ、ほんとですかっ!?」
バーツの言葉に、嬉しそうに…とはいっても常に笑った仮面なのだが…ナディールが顔を上げた。
その仮面の前に、負けず劣らずの笑顔を浮かべてバーツがお弁当箱を差し出した。
「ただし、これを食ったらな」
「これって…」
言いつつ、ナディールの顔がお弁当箱の中へと向かうも、何かの存在に気付いたかのようにびくっと肩を震わせた。
「これ、って…もしかして、これのことですか…?」
言って指を指す先には、セロリのサラダ。
サラダとはいっても、メイミ特製のドレッシングがかかっているだけなのだが。
「おう。確かあんた、セロリが嫌いだったろ?」
笑顔のまま頷けば、ナディールがだらだらと汗をかき始めた。
「た、確かに苦手ですが…それとこれとは…」
「劇のためなら食えるよな。な?」
先程と立場を逆に、バーツが笑顔で詰め寄れば、だらだら汗を流しながらナディールが農夫とセロリとを忙しなく見比べる。
そしてやがて、がっくりと肩を落とした。
「…分かりました…。それを食べれば、劇に出てくださるんですね…?」
「俺は嘘はつかないぜ」
大きく頷いたバーツが、一緒に包みの中に入っていた箸を手にとる。
「大体俺が作って、メイミさんのドレッシングがかかったセロリだぜ?絶対美味いから」
自信満々に言いながらセロリを箸で摘んだバーツだったが、不意に目を丸くする。
そして軽くしゃがみ込みながら、ナディールの顔を下から見上げる。
「…それ、ちゃんと口開いてる?」
「えっ、いや、自分で食べますよっ?」
「いいからいいから。ほら、あーん」
慌てるナディールを気にすることなく、仮面の口元に差し出されるセロリ。
暫く躊躇うようにそれを見つめていた仮面の男が、意を決したように細い隙間からそれをくわえた。
無言のまま咀嚼するのを、バーツもまた黙り込んだままじっと見つめる。
「…どうだ?」
ごくんと。喉が大きく動いたのを確認して、バーツが問いかける。
少しの間、黙り込んだままだったナディールがようやく口を開く。
「…美味しい、です…。何だか凄くさっぱりしてて…臭みが少なくて…」
「だろっ?だから絶対美味いって言っただろっ?」
ぽつりぽつりと零された感想に、満面の笑みを浮かべたバーツが大きく頷いた。
そしてまるで子供にするように、きっちりセットされた頭をくしゃくしゃと撫でた。
「うわっ、ちょっと、バーツさん!?」
「約束だからな、ちゃんと劇には出てやるよ」
「ほ、本当ですか?ではすぐに台本を…」
「ちょっと待った!」
急いで台本を取りに行こうと踵を返した男のコートを、バーツがぐいっと掴んで引っ張る。
「わっ!?な、何をするんですかっ?」
後ろに仰け反ったナディールが、驚いたように背後を振り返った。
そこには、お弁当箱を持ったままにっと笑うバーツの姿。
「俺も行くよ。今日の畑仕事はもう終わったからな。あと、はいこれ」
言いながら差し出したのは、セロリを一切れ食べただけのおべんとう。
不思議そうに首を捻りながら、それでもナディールが差し出されたそれを受け取る。
「これは…?」
「あんたにやるよ。っても、俺ももらっただけなんだがな」
セロリを食べれるようになった記念?と、バーツが呟きながら首を傾ける。
「はぁ…ありがとうございます…」
ナディールは受け取ったそれを見下ろしながら、どこか怪訝そうに礼を告げた。
表情がないので良く分からないが、どちらかと言えば困惑しているのかも知れない。
しかしそれを気にすることもなく、手ぶらになったバーツが大きく伸びをする。
「さーて、んじゃ行くか]
「あ、はい」
一人、先に劇場の方へと歩き始めた若い農夫を、仮面の男が慌てて追いかける。
ナディール&バーツだか、ナディール×バーツだかが地味に好き故、出来心で書いてみた作品。
一応多分前者。恋愛感情はどう考えてもなさそう。
バーツが果たして劇場に出てたのかどうかは不明。