動物の理

「ああもうっ、なんなんだよっ!?昨日からおかしいとは思ってたけどよっ!」
ベルトを外し、コートを脱いでつなぎの服1枚で川の中へじゃぶじゃぶ入って行ったレオンは苛立たしげにがなりたてた。
確かに昨夜…特に今朝からおかしいとは思っていた。妙に体は熱いし感覚は敏感になっているし。
それを気のせいで済ませていた自分が腹立たしい。
いや、その時点で気付いていたところで逃れようがないのだから同じことなのだが。
冷ややかな水の流れが火照った体を鎮めてくれる。
テオロギアにいたときは、御使いが多くいたために問題なかった。
ただ今はどうだ。共にいるカテナはアルミラ一人、もう一人は人間ときた。
アルミラに手を出すのは気が引けるし、フィールはそもそも同性である。
それ以前に、コトを為すにしてもその場所がない。
こうやって体の火照りを冷まして、一ヶ月ほどの間騙し騙しするしかないだろうかと低く唸り、悩むように川の流れに一人佇む中、足音を耳にしてレオンはゆっくり其方へ顔を向けた。

川の中にその姿を見つけたフィールは、跳ね上がる心臓を必死で宥めつつゆっくり其方へと近付いていく。
黄色のラインが入ったコートと、それを止めるベルト、右手に嵌められている黒の手袋、ブーツは川辺に脱ぎ捨てられている
。 黒一色の、体にぴったりとしたつなぎは、その長身に見合うだけの見事に鍛え上げられた筋肉に覆われた体のラインを浮かび上がらせていて。
大きく開いた胸元から覗く、くっきりと浮き上がった鎖骨や厚い胸板、少しひきつれたように生々しい赤色を残す3条の傷跡。
見慣れているはずのそれらに唾を飲み、必死で平静を装う。
「あー…あれだ、さっきは悪かったな」
反応に困ったようにがしがしと不揃いな薄い金の髪をかき乱しながら告げられた謝罪の言葉に首を振り、ゆっくり川のギリギリまで足を進める。
「気にしてないからいいよ。アルミラに…聞いたから」
初めて見るその手は想像通り、節が大きく骨張っていて。
ともすればそこを凝視しそうになる自分を抑え、フィールはレオンに微笑みかける。
途端にレオンの表情が渋いものに変わる。
「聞いたのか。…まあ…そういうことだ。とりあえず何とかするから…っておい、ボウズ?」
目を逸らせてぼそぼそ呟いていたレオンは、ばしゃっと言う水音に川岸の方へ目を向けてから怪訝そうに首を傾けた。
その視線の先では、靴を履いたままのフィールが川の中へと入ってきている。
怪訝そうに呼ばれたフィールは靴だけでなく服もが濡れるのを気にすることなくレオンのほうへと流れる水を掻き分け歩いていくと、そのまま両手を伸ばして…。

まず感じたのは、伸ばされて来た両手が首に絡む感覚。
そのまま引っ張られれば体がよろめき、足元で水が跳ねた。
目の前には今まで見たこともないくらいドアップの顔があって。
それから…口唇に触れる、暖かくて柔らかい…口唇。
「…っ!?」
漸く、今自分が置かれている状況に気付いたレオンは目を見開いてから間近にある少年の顔を唖然と見詰める。
…なんでおれ、ボウズとキスなんぞしてんだ…?
現在の状況は把握出来れど、その理由までを把握するには至らず。
「っ!?んー!んー!!」
振りほどくこともできずに固まっていたレオンだったが、自らの口唇を割ろうとするかのように触れてきたぬめりに気付いては必死で口を閉ざしながら抗議の声を上げる。
凶器であるレクスで傷つけることがないように、それでも相手の体を引き剥がすには十分な力でフィールの体を押し離す。
「な、何やってんだ!ボウズ!」
「何って…キスだけど…?」
長さの異なる二本の腕を精一杯伸ばして体を離したまま必死になって尋ねかければ、フィールはごく当然のように首を傾けて答えた。
「そんなことも知らないの?」とでも言いたげに。
「おれが言いたいのはそんなことじゃねえ!何でキスをしてんのかって事だ!」
態となんだか素なんだか。
きょとりと首を傾ける少年に再度の問いかけを向ければ、遥か年下の少年は微笑んでこれもまた当然のように答えやがった。
「だってレオン、発情期なんだろ?ぼくが相手をしてあげるよ」
と。

こんなことを知ればレオンは怪訝な顔をするだろうけども、フィールからしてレオンは愛しい。性格も見た目も。
感情が豊かで表情も豊か。そのくせ不器用で照れ屋でぶっきらぼうで。
何事にも恐れることなく真っ向から向かっていく真っ直ぐさと、その単純とも言える性格。
無防備なまでに大きく開かれた胸元から覗く、一片の無駄なく鍛え上げられたしなやかな筋肉と厚い胸板。
そこに残る生々しい3条の傷跡。くるくる変わる豊かな表情と荒々しい性格に隠された端正な顔と。
例え身長、体重、体格、年齢とどれをとっても自分より上であっても…フィールからすればレオンは可愛くすら見える。
そんな彼が目の前で発情期を迎えていて。
自分を抑えることができるほど、フィールはまだ生きてはいない。それをコントロールする術など知りはしない。
「どうせ、このままじゃ大変だろう?明日にはテオロギアに入るっていうのに…」
フィールの肩を押さえたまま唖然としていたレオンは、自らの方へ伸ばされてきた手に我に返る。
「まっ、待て!ボウズ!だからって別に…」
「遠慮しなくていいよ。大丈夫、優しくしてあげるから」
「そういうことを言ってんじゃねえ!」
肩を押さえる手を邪魔そうに見遣ったフィールはその腕をそっと押さえてから嬉しそうに笑いつつ、レオンの服へと手をかける。
荒野に響くは、悲痛なレオンの声。

「…放っておいていいのか?」
すぐ隣から聞こえた声に、枝を積み上げ火を起こす準備をしていたアルミラは、その隻眼で声を発した彼を見る。
悲痛なレオンの声が聞こえて以来、取っ組み合いでもしているかのように大きな水音が先ほどからしている。
「放っておいてはいけない、理由はないからな。別に二人がどうしようと、仲違いをしない限りは私の関与するべきことではない」
己の顔の高さ辺りで飛ぶネコへとあっさり返す。
連携攻撃に支障が出るほどに険悪になられると困りはするが、今は放っておいても構わない。
普段に催すものとは違い、繁殖期のそれはそう簡単に抑えられるものではない。
簡単に抑えられるのならば、その期間の意味がない。
ならばいっそ、きちんと処理をした方が気分がすっきりするのは女も男も同じこと。
フィールがレオンにそういった感情を抱いているのは元より薄々気付いてはいたし、繁殖期にあるレオンがそれを拒みきれるとは到底思わない。
「男同士でも?」
「カテナにとって同性が相手である事はさほど珍しくはない。無論、異性でなければ子はできんが。人間に比べれば、解放的だろうな」
寿命や霊力以外は然程人間と変わりなく思えるカテナであるが、細々とした部分は随分と人間とは異なるらしい。
パタパタと羽を羽ばたかせ、拾い集めた枝に火をつけるべく組み合わせるアルミラの手元を見ながら納得したのかどうか、トトが視線を向こうの方にある川へと目を向けた。
この位置からでは、岩の陰になっていて二人の姿を見る事は叶わないが…まさか向こうにいる2人も、アルミラとトトが川の近くに来ていることなど気付いてはいまい。
移動してきた理由は出歯亀などでは勿論なく、火を使うためにその始末をする水が近くにある方がいいと言うだけのことである。
先ほどに比べれば随分静かになった。
あれほどあがっていた水音が聞こえなくなり、代わりに聞こえてくるのは所謂『嬌声』というやつで。
コトが始まったらしいと溜め息をついたトトはすうっとその場に降り立つと、起こされた火の近くに腰を下ろす。

「随分冷静だな」
手持ちの美味しくもない簡易食料を、それでも少しでも食べられるものにするべく暖めていたアルミラの耳にもその声は当然届いているはずだが、眉一つ動く事はない。
することもなく、気もなくトトが呟けば作業の手を止めることなくアルミラが頷いた。
「私は動揺は出来ないし…出来たところで、この程度の事は慣れている。今さら、取り立てて反応を返すほど、若くもないしな」
「………そうか」
慣れているという部分や、若くないという部分に疑問を返したい気がしないでもなかったが、暖かくなったせいか、不意に訪れた眠気に質問を返すことなく、トトは一言だけ短く頷いた。
暖めた干し肉の匂いがしてきたが、少し眠るくらいは構わないだろう。
火の爆ぜる音と川のせせらぎに混ざって聞こえてくる声は、どうせ暫く止まることもないのだろうから。

アルミラは目の前でレオンがフィールに組敷かれててもきっと動じない。
暫し無表情に見下ろしてから何かを納得したように、それでいて何事もなかったかのように去るくらいがベスト。
因みにアルミラはOZメンバーの中ではカインに次いで年長組。