手袋

「大佐、コーヒーを淹れましたよ」
「ん…ありがとう」
二日間の徹夜でぼんやりとした眼差しを手元の書類に落としたまま、斜めより差し出された白いコーヒーカップへと手を伸ばす。
そちらへと目を向けぬままに伸ばされた手はカップを掴むことなく、ただ軽くぶつかり。
「あつ…っ!」
しまったと思う間もなくバランスを崩したそれは、茶色の液体を撒いて机の上へと落ちた。
「大丈夫ですかっ?」
「中尉…」
常に冷静な、その右腕ともいえる女性が珍しく慌てた風に声を発するのに、彼女の上官であるロイは、コーヒーのかかった右手を押さえたまま感動したかのように呟く。
「いや、そんな心配してくれなくとも平気さ。あ、でもちょっと熱いかな―――」
感動のあまり潤んだ目を閉じ、少しばかり角度をつけて気障っぽく前髪なんぞを流してみる。
しかしすぐに再度右手を押さえ、くっと斜め下45度へと顔を背けた。
慌てた風に上官のほうへ手を伸ばした中尉ことホークアイは、演技を続けるロイの目の前を通り過ぎて、机の上に放り出された書類を手に取った。
「良かった、どうやら無事なようですね。―――どうかしましたか?」
汚れ一つない白い紙面を確認し、何やら呆然と大口を開けている上官に気付いて彼女はいつもと同じ、冷ややかな口調で問いかけた。
「良かったって…あの、中尉?私のことでは…?」
ぽかんとしたまま己の顔を指差すロイに、大切そうに書類を胸に抱きこんだままきっぱりと言い切った。
「軽いやけどなら放っておいても治りますが、一度汚れた書類は二度と直りませんから」

「失礼しまーす。―――あれ、どうかしたんですか?」
軽いノックをしながらも返答が変える前にひょっこりと顔をのぞかせた男が、きょとりとして何やらおどろ線を背負う上官と、いつもと変わらぬ上官とを見比べる。
「いえ、少しコーヒーを零しただけで」
大したことはないといわんばかりの口調。
なるほど、手に布巾を持つさまは、机の上に広がる茶色の液体を拭き取ろうとしているように見える。
煙草を咥えたまま、現状を把握しようと暫し眺め、どうやら言葉どおり大したことではないと判断したハボックは室内へと足を踏み入れた。
「それでハボック少尉、何の用なの?」
「あ、これの可決をもらいに来たんっス、けど」
どうやら今は無理そうだと、あまりに情けない大佐の姿に嘆息する。
「大佐、早く手袋を外してください」
ハボックがぼんやりとその情けない姿を見ている間に、きびきびとした動きですばやく机の上を拭き終えたホークアイがロイへと手を差し出す。
左手で押さえていたので気付かなかったが、よくよく見ればそこにも茶色の染みがついている。
「それ、雨の日だと使えないんですよね?それ自体が濡れてる場合はどうなんです?」
「勿論『無能』よ」
手袋を外す仕草を見せないロイへと向けた質問は、しかしホークアイの口から例の毒舌で持って返された。
更に落ち込むロイの頭の上に、見覚えのある石が2段重ねで乗っているように見えるのは気のせいか。

「全く…君は私を一体何だと思っているのかね?」
漸くダメージからある程度復活したらしいロイが、渋々と右手の手袋を外しながら小さくぼやく。
「何を馬鹿なことを言ってるんですか。少し…いえ、『かなり』頼りないけども大佐でしょう」
この言葉で完全に撃沈した上官に頓着する素振りも見せず、左手に握られた手袋をさっさと奪い取る。
一連の出来事を眺めていたハボックが、思わず同情するように手を合わせた。
そして上官をまず撃沈させたのは己の一言であることに思い至り、何とかしなければとホークアイの手の中の手袋に目をつける。
「でもその手袋の練成陣って大佐自らが作られているんですよね」
ぴくりとロイの耳が反応したように見えた。
もう一押しだと再度口を開きかけたハボックが言葉を発するより早く、その後を無情な部下、ホークアイが受け継いだ。
「大佐はこれ以外に取り柄がありませんから」
――――――――――。
最早救いようはないと。
哀れな上官にゆるゆると首を振ってハボックは大きな溜息を吐いた。

カプというより、コンビなロイリザ。