甘受

襖の向こうが騒がしい。
荒々しい足音と怒声。
招かれざる客人か。
待て!と叫ぶ声と、襖が勢いよく開け放たれるのは同時だった。
晋助が抱えていた三味線の弦を弾く手を止め、顔を上げる。
3人の男に羽交い締めにされながら、それを全く意に介さずに笑いながら立つ男。
「おぉー!久し振りじゃのぅ、晋助!」
明るく笑う男は髪型といい、サングラスといい胡散臭い。
だが、知った男。
「知人だ。誰も近寄らせるな」
「は…はいっ、失礼しました!」
一瞬呆気に取られた3人が、慌てて胡散臭さを醸し出す男から離れた。
そして人払いの言葉に頷き、階段を降りていく。
ひらひらとその後ろ姿に手を振っていた男が部屋に入り、襖を閉めた。
「何をしに来た」
一度止めた三味線が再び音を奏で始める。
「アッハッハッ!何をしに来たとはご挨拶じゃのぅ!」
ぼさぼさの頭をかきながら明るく笑う。
その笑いが止み、サングラスを僅かに下ろした隙間から晋助を見詰める。
「おんしが金時やヅラとやりおうたと聞いたきに」
晋助は顔を上げない。
三味線の音も、止まることはない。
「勝手に宇宙に飛び出したてめーには関係ねー」
「アッハッハッ!それもそうじゃき!」
笑う声は、どこまでも底抜けに明るい。
それこそ、敵意を削がれる程に。
「別にワシは、それをどうこう言うつもりはないきに」
顔は手元の三味線に落としたまま、晋助が漸く視線だけは男へと向けた。
かつて攘夷を掲げて共に戦った、坂本辰馬へと。
「…てめーはそういう奴だったな」
「金時にも会ったきー、みんな変わっちょらんぜよ」
からからと笑いながら、立ったままの辰馬は晋助の方へと歩み寄る。
そして下を向いたままの晋助の頬に手を添え、顔を上げさせる。
「ところでさっきから気になっちょったんじゃが、左目はどうしたがか?」
目はサングラスに隠れて見えない。
ただ、その疑問を表すように辰馬は首を傾ける。
「…何でもねーよ」
「アッハッハッ!そうか、最近流行りのファッションか!」
一人納得したように笑う辰馬が、不意に晋助の頭を胸元に抱き寄せた。
「何してんだ。さっさと離せ」
驚きもせず、もがきもせず。
淡々と放たれる言葉に、感情の色はない。
「おんしも元気にやっちょるようで安心したぜよ」
晋助の言葉が聞こえていないかのように、きれいさっぱり無視しながら辰馬は自分のペースで話す。
「じゃが晋助、喧嘩もほどほどにしとくき。ワシにゃ、金時もヅラも友達じゃきのー」
アッハッハッと能天気に響く笑い声。
晋助は諦めたように、バチを持つ腕を下ろした。
この男には、何をいっても暖簾に腕押しなのだと言うことは、長い付き合いで知っている。
この能天気な笑いを聞くと、あきれる他なくなる。



辰馬には多少、気を許していると言う自覚が晋助にはある。
それはこの男は否定をしないから。
戦が嫌いなくせに、好んで戦を仕掛ける晋助を、それも一つのやり方だと受け入れる。
この性格だからこそ、傍にいても安らげる。
他の意見を押し付けてくることは、決してない。
そしてこの男は同じ寺子屋の生徒ではない。
だから能天気に、この世界を甘受していても許すことが出来る。
だから…少しばかり、付き合ってやろうなどという気の迷いが起こる。
こうして抱き締められても、振り払おうとは思わない。



辰馬に対する己の態度を冷静に分析した晋助は、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
「おい、辰馬」
「ん?何じゃ?」
「てめー、どこ触ってやがる」
腰を撫で回していた辰馬の手を掴み、力任せに捻り上げる。
捻り上げられた自身の手を不思議そうに見つめた辰馬は、それからおかしそうに笑い出した。
「アッハッハッ!気付いたら手が勝手に動いちょった!」
「切り落としてやろうか」
「腕がなくなると困るきー。アッハッハッ」
やはり…こうして笑われてしまうと、いちいち気にするのが馬鹿らしくなってくる。
そうして押し倒されたことも、一度や二度ではないのだが。
あの笑いは相手を油断させるためではないかと思わないでもないが、しかしどう考えてもそんな器用なことが出来る男ではないのだ。
そのような打算がないことが分かっているからこそ、余計に気を許してしまうという悪循環に陥っていることも、言い訳のしようがない事実。
手首を掴む手を緩め、僅かに身を捩るようにして、抱き締められた胸元から抜け出す。
「銀時やヅラと仲良くしてーなら、俺のとこには来んな。あいつらがいい顔しねーぜ」
いまや、あの二人は完全に敵だ。
晋助は春雨と手を組み、そんな晋助にあの二人は宣戦布告をした。
それは最早、変えることの出来ない事実。
しかし体を押し返された辰馬は、やはり不思議そうに首を捻る。
「二人もおんしのことを気にしちょる。それにおんしらが喧嘩しちょっても、ワシにゃみんな友達じゃき」
友達が友達を訪ねて、何も悪いことはないぜよ。
いつもの頭が悪そうな明るい笑い。
クッと喉を鳴らして笑う。
本当に、どこまでも能天気な男だ。
「いいから、今日は帰れ。これから野暮用があるんだよ」
「そりゃすまんかったのぉ。怪我なんぞするんじゃないぜよ」
言葉を返せば、素直に離される体。
体温が遠ざかる。
代わりに、まるで子どもでも相手にするように頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。
「何してんだ、辰馬ァ…」
乱された髪が左目の包帯にかかった。
「何しちょるか分からんき?頭撫でてるぜよ」
当然の答えを返され、晋助がその手を鬱陶しそうに振り払う。
「んなこと聞いてねェ。理由を聞いてんだ」
「理由が聞きたいなら、初めからそう言うきに」
振り払われた手に気を悪くするでもなく、辰馬は腰に手をやった。
「おんしは一番無茶をやりかねんき」
「…何だそれァ」
予想もしない言葉にじとりと目が据わる。
包帯のない右目をすがめるような睨みにも、辰馬は能天気な笑顔を崩すことはしない。
「言葉通りじゃ。金時やヅラもじゃが、ワシにとっちゃおんしも大切なんぜよ、晋助」
「ハッ…言ってろ」
鼻で笑っても、気をわるくした様子は全くない。
「また来ゆうに。今度は土産でも持ってくるかのぉ」
アッハッハッ、と明るく笑う男は、どうやら来るなとの言葉は綺麗さっぱり聞き流したらしい。
晋助はそれに返事をするでもなく三味線へ視線を落とし、バチを持つ手を持ち上げた。
その視界が陰り、髪に柔らかい何かが触れる感覚。
直感で髪に口付けられたのだと悟るが、何も言うことはない。
まるで時期外れの台風のように騒がしい男が出て行った部屋からは、また三味線の音色が響き出した。

「銀魂」より、坂高。
土佐弁というか、辰馬の口調がよく分からない。
何か全部ひっくるめて受け入れてくれそうな人。