至極の宝珠

頃は年の瀬。
整理する必要もない程に物のない棚の荷物を、それでも慣わしか何かのように片付けていた小十郎は、奥深くから出て来たものに目を細めた。
紫の布に包まれたそれを大切そうに手に取り、部屋の中心へと戻る。
そこに腰を下ろした小十郎は恭しい手つきでその布を開く。
中から出てきたのは小さな箱。最上級の桐で作られたその箱は本当に小さく、片手の上に乗るほどのもの。
空かと思うほどに軽い。
その表面には深い青の紐が掛けられている。
封印するかのように硬く結ばれた紐は、そう簡単に解けそうにはない。
箱の表面を大切そうに撫でた小十郎は紐を解くでもなく、ただ見つめ続けている。


この存在を知るのはこの世で己ただ一人。
そう思えば手の中の小さな箱がこの上なく愛しく思える。

「Hey、小十郎。ちょっと手を貸せ…An?」

何の遠慮もなく開かれた襖に、はっと小十郎が手の中の箱を己の後ろへと隠した。
それを目敏く見つけた政宗が隻眼を細めた。

「何を隠したんだ?」
「いえ、別に。それより何を致せばよろしいのでしょうか」

一瞬見せた驚愕の顔は見間違いであったかのように、既にいつもの無表情へと戻っている。
しかし一瞬のこととはいえ、政宗がそれを見逃すはずもない。

「今隠したものを出せって」

小十郎の問いに答えることなく、部屋に入り込んだ政宗がその前に立つ。

「やれやれ…自分の秘密を持つことも許されないのですか」
「お前は俺のものだからな」

呆れたように零された溜め息に被せるように政宗が当然のように言い放った。
一瞬言葉を失った隙を逃さず、にやりと笑った政宗が更に続ける。

「お前は命まで全部俺のものだからな。その俺に秘密なんかあっていいはずがないだろ」
「…なんて殺し文句を口にするんですか…」

そのようなことを言われては反論など出来るわけがない。
この身は確かに、命まで全て主である政宗のものである。
それは間違いないが…それをこのような場面で使うような人間に育てた覚えはない。
どこで育て方を間違ったのだろうかと過去を振り返る小十郎である。

「…少しだけですよ」

してやったと言わんばかりに会心の笑みを浮かべて正面に座る政宗を見ながら、壊れ物を扱うかのような手つきで箱を手にする。
そして二人の間へとそれを置いた。

「…What?」

目の前におかれたそれは政宗の予想を裏切る物であった。
紫の布の上におかれている物は、何の変哲もない小さな桐の箱。
深い青の紐が絡まり、そう簡単には蓋を開けそうにない。
大きさからして、中に大したものは入りそうにもない。
にも関わらず、丁寧な手つきでそれを取り出した小十郎に倣って、政宗はそろそろと両手でそれを持ち上げた。
軽い。
中には何も入っていないのではないかと思う程の軽さ。焼き物の類でもなさそうだ。
不思議そうに手にした箱を様々な角度から眺める政宗に小十郎が小さく微笑む。

「それは小十郎の宝にございますれば。小十郎が死すれば、それを共に埋めてやって頂きたく」
「縁起でもねぇことを言うんじゃねぇよ」

眉を潜めるも、小十郎の言葉は本気である。本気だからこそ、その縁起の悪さに自然と眉間に皺が寄ってしまう。

「開けてもいいのか?」

硬く結ばれた紐は、長らく解かれた様子はない。
それを指差せば小十郎は首を振った。

「いいえ、幾ら政宗様と言えど中を見ることを許すわけにはいきませぬ。そればかりはどうかご容赦を」

厳しい表情で頭を下げる様子に、政宗が再び手の中の箱へと隻眼を向けた。


この男がそういうのであれば、無理にそれを実行しようとは思わない。
信じているからこそ、無理に確認はしたくない。
もし、ここでどうしても政宗が中を見たいと押し切れば、渋々小十郎は紐を解くであろう。
しかしそのようなことはしたくなかった。それではまるで、自分が小十郎を信じていないかのようである。

「…ま、覚えといてやるぜ。お前が先に死ねば一緒に埋めてやる。…そんなことは許さねぇがな」

信じてはいるが…中身が気になる事に変わりはない。好奇心の強さは人一倍だ。
物に執着することのない男がこれほどまでに大切に思う物。興味がそそられないわけがない。

「で、中は何だ?」

開けることはしない。が、中身が気になるという事実は変わらない。
布の上に箱を戻せば、それを丁寧に包み直していた小十郎の手が止まる。だがそれも一瞬。
すぐに変わらぬ手つきで動作を再開させた小十郎はきっちりと箱を布に包んでから政宗を見つめた。

「この中には邪気が入っております」
「Ha?」

聞き間違えたのかと、問い返した政宗に真顔で頷いた小十郎が再びそれを口にする。

「邪気です。それを封じてあるがため、蓋を開けるわけにはまいらないのです」

冗談を言う時も真顔であるのが小十郎という男であるが、どうやら今回は冗談ではないらしい。政宗に向けられる眼差しは真剣そのものだ。
しかし邪気、との言葉が何とも胡散臭い。
その感想が小十郎へと向ける視線に含まれていたのだろう。真顔であった小十郎が微かに口の端を持ち上げた。

「お忘れですか?この小十郎は神職が家の者なれば、邪気を封ずることもできまする」
「Oh…It was so…」

完全に忘れていたが…この男の家は神社なのである。
輝宗に召抱えられることがなければ、今頃は父親の跡をついで神主に納まっていてもおかしくないのだ。
戦場での活躍からは想像できないが、この男は確かに元々神に仕える人間である。
そう思うと、胡散臭かった邪気との言葉が一気に現実味を帯びるのだから妙なものだ。

「そこに邪気が封じてあると?」
「左様。この邪気は、小十郎めが死するときまで責任を持って管理いたします」

納得がいくようでいかない話だ。
それは、政宗が部屋に入った直後の光景。

「…で、その邪気を封じてある箱を愛しげに撫でて見つめてた理由は?」
「………」

その場に沈黙が下りる。


百歩譲って、その箱に邪気が封じてあるとしよう。
とすれば紐を解かぬ理由も、共に埋める理由も、丁寧に扱う理由も分かる。
しかしそれを愛しげに撫で、見つめる理由としてはこの上なく不適切なものだ。
静まり返った部屋に小十郎の溜息が響いた。

「全く…政宗様は本当に好奇心が旺盛で困る…」
「そう育てたのはお前だぜ、小十郎」
「分かっております」

内気で引っ込み思案で、自分から事を起こそうとはしなかった政宗…当時の梵天丸に何事にも興味を持つようにと育てたのは他ならぬ小十郎である。
好奇心は知識へと繋がり、考える力をも育むことが出来る。それに何より、そのほうが子どもらしい。
そしてその育て方は間違っていなかったと胸を張って言えるが…それが裏目に出ることも最近はしばしばある。
布で包んだ箱を手に、小十郎が立ち上がる。そして棚の前へと立つと元々あった通り、その奥へと仕舞い込んだ。

「おい」

答えを返されることなく仕舞われた、その様子を見ながら政宗が声をかける。
小十郎は政宗の問いかけには必ず答える。
それが政宗にとって満足いくかどうかはまた別物であるが、問いかけがなかったかのように有耶無耶にしてしまうことはない。
そういうところは昔からである。子どもだからといって適当にあしらう事はしなかった、数少ない一人。
それを知っていながら政宗が返事を促す。
箱を大切そうに仕舞いこんだ小十郎は振り返り、座ったままの政宗へと目を向けた。

「あの中にあるのは確かに邪気にございます。開ければ、必ずや政宗様に害を及ぼすことでしょう。それほどまでに深い闇を持ったものでございます。しかし…」

一度言葉を切った小十郎は政宗の隻眼を愛しげに見つめる。

「その邪気は、小十郎にとってはかけがえの無い宝であることもまた事実。あの邪気があればこそ、今の小十郎があるのです」

紡がれる言葉が、まるで綿が水を吸収するかのように脳に染み込んでいく。

「まさか…あの中は…」

辿り着いたのは一つの答え。
目を見開き、それを言葉にしようとした政宗の口は小十郎の唇によってふさがれた。
思い浮かんだその答えは、言葉として発せられることなく小十郎の咥内へと飲み込まれる。
「お気をつけなさいませ、政宗様。言葉は言霊。口にすれば力を持ち、政宗様を害する邪気へと変わるでしょう」

そっと唇を離した小十郎が口にする言葉は、まるで神主のもの。
呆然とする政宗へと向けられるその言葉と微笑みが、導き出した答えが間違いでないことを証明している。

「あれは小十郎の半身であり、政宗様の半身。ですから死したときはどうか、政宗様を連れて行く代わりにあれを持っていくことをお許しくださいませ」


「…お前…馬鹿だろ…」

思わずと口をついて出た言葉に小十郎は苦笑を浮かべる。

「政宗様がおっしゃるのであれば、そうなのやも知れませぬな」

座ったままの政宗の両脇へと手を入れた小十郎が、まるで子どもを相手にするかのようにひょいと立たせた。

「蓋を開けてもないのに、政宗様は邪気に当てられたご様子。あれは小十郎にとっては宝でも、政宗様に対しては毒でしかないのですから。さあ、それを理解されたならば掃除を続けましょうぞ。この小十郎に頼みがあって来られたのでございましょう」

早くせねば年を越してしまいます、と告げられて漸くこの部屋に来た本来の目的を思い出す。

「あぁ、そうだな」

頭の片隅がふわふわとして気持ち悪い。奇妙な夢を見たあとの感覚に似ている。
それを追い払うように頷いた政宗の背を押すように襖へと向かう。

「小十郎」
「何でしょう、政宗様」

名を呼べば響くように返ってくる返事。
それに安心したように、静かに息を吐き出した政宗が背後の男を振り返ってにやりと笑う。

「俺に邪気が当たらぬよう、責任を持って管理しておけ。死ぬまでといわず、死んだ後もだ。それが出来るのは、俺の右目であるお前だけなんだからな」

笑いながら告げられた言葉に小十郎が目を丸くする。
処分しろと言われる可能性をも考えていた小十郎にとって、それは良い方向に予想を裏切る命令。

「御意に」

自分だけが許された、自分にしか出来ぬその命に小十郎は深く頭を下げた。

どうしても小十郎が筆頭の右目を処分するとは考えられず。
きっと宝として大切に持ち続けてるに違いない。