戦場の秘め事

まっすぐ政宗の元へと向かってきた小十郎が、その前で足を止める。
「政宗様。このようなところで何を?先ほど武田の忍がいたように思いましたが」
「Ah~…気分転換だ」
問い詰める眼差しに、まるで逢引を見咎められたかのような錯覚を覚えた。
別段、疚しいところがあるわけでもないのだが。
「ならばよろしいですが…」
周囲の凄惨な光景について小十郎は口を開かない。
一方的な虐殺であったことは屍の傷を見ればすぐに分かる。
それでも何も言わないのは大したことでないと思っているからなのか、はたまた城に戻ってからとくとくと説教をするつもりなのか。
そこまで考えて政宗は後者の考えを否定する。
城に戻るまで待つといったような気の長さを小十郎は持ち合わせていない。
「…何も言わないのか?」
足許に転がる腕を見下ろしながら問えば、踵を変えようとしていた小十郎が動きを止めて政宗の顔を見つめる。
「武田の忍のことですか?それとも、この現状のことを?」
問い返され、何故か咄嗟に返事に詰まる。
返事のない主を真っ直ぐ見据えたまま、小十郎がしっかりと政宗に向き直った。
「この惨状について小十郎が申すことは特にないかと。政宗様もいつまでも童でなければ、ご自分のなさったことが分かっておられるはず。だからこそ、そのように悔いた顔をなさっておられるのでは?」
指摘され、足許へと向けていた顔を眼前に立つ忠臣へと向ける。
「そんな顔をしてるか?」
「この小十郎が何年お側にいると思っておいでか」
苦笑と共に告げられた言葉に肩を竦めざるを得ない。
あの佐助ですら気付かなかった、あるかなしかの感情に気付くことが出来るのはやはりこの男一人だろう。
「そうか」
短く頷く言葉を返し、陣中へと戻るべく小十郎の前を政宗が通り過ぎてから、忠実な家臣の声がした。

「武田の忍については…」
その声の低さに、政宗はぎくりと足を止める。
怖くて振り返ることが出来ない。
「あの素破も政宗様も、少々戯事が過ぎるようで」
「…どこから見てた…?」
あの頃合良すぎる登場はやはり偶然などではなかったらしい。
小十郎を背に、正面向いたまま恐る恐る問い掛けてみる。
「まさか一国の殿ともあろう御方が、戦場で敵国の戦忍などと口吸いをなさるなどと小十郎は思ってはおりませぬ」
「…Goddamn」
思わずと小さく吐き捨てた言葉を聞き逃すはずもなく、再び歩を進めようとした政宗の首根っこを小十郎が掴んだ。
「What!?お前…小十郎!それが主に対してすることかっ!?」
前へ進もうとするところで背後に引き止められた政宗が慌てて背後を振り返る。
そこに立つ忠臣の口許には笑みが浮かんでいる。
が、決して性質のいいものではない上に目が笑っていない。
怒っているのだということは小十郎と付き合いの浅い者でもすぐに知れる表情。
それを目の当たりにした政宗は何事もなかったかのように正面向いた。
そして歩き出そうとするが、首根っこを押さえられていれば当然叶うはずもなく。
「貴方は一体何を考えておいでかっ!」
途端、小十郎の怒号が落ちた。
「戯れも大概になされよ!戦で大勝しようと、その後で御身に傷を負って何となされる!」
立て続けに落とされる雷に政宗が反射的に首を竦める。
反論すべく、口を開く政宗の言葉を封じるように再度の雷。
「万一の事がないとは言い切れぬのが戦。それを心得ておられぬ政宗様ではありますまい!」
その声には心配の色がありありと現れている。
「…悪かった」
別に佐助とのやり取りそのものを謝罪する気はない。
あれは佐助との挨拶のようないつもの戯れであり、少なくとも政宗からすれば謝るようなことではない。
ただそれが理由で小十郎に心配をさせてしまったのであれば、それは謝らなければなるまい。
小さく謝罪の言葉を口にした政宗に小十郎が顔を顰める。
小十郎とて、そのような政宗の思考が分からぬわけではない。
政宗は小十郎に心配をかけたことに対して謝っているのであり、佐助とのやり取りを謝っているわけではない。
だが小十郎が反省して欲しいことは心配をかけたことではなく、佐助とのやり取りなのだ。
小十郎のその気持ちを知りながら、政宗は肝心のことは謝らない。
そのように育てたのは他ならぬ小十郎自身。
反省し、謝罪することは大切だ。
しかし人の上に立つ者が、自分の納得のいかぬことで頭を下げる必要はない。
人に悪いことだと言われて納得も出来ぬまま謝罪するような、自分を持たぬ人間は人の上に立つに相応しくない。
きちんと自分で納得出来なければ何の意味もないのだから。
反対にいえば、例え理不尽なことであっても納得さえ出来ればいいのだが。

その教育の賜物で、政宗は頑固である。
政宗自身に納得しようとする気がないのであれば小十郎が幾ら言っても無駄でしかない。
諦めたように嘆息した小十郎が政宗を解放する。
「このような戯事は今回限りにしていただきたい」
「Consent」
こともないこの返事がどれだけ信用できるものかは、果たして怪しい。
それが守られぬであろう事を知りながらも頷いた小十郎は軽く政宗の背を押す。
「さ、本陣に戻りましょう。みなが待っております」
「…おう」
どこか納得のいかない表情で頷いた政宗がまっすぐ本陣のほうへと向かっていく。
主の背を慈しむように見つめていた小十郎が不意に目を細めて背後を振り返った。
そこにはただ、無残な姿になった骸が転がるのみ。
その骸には目もくれず、ただ何もない空間をじっと睨みつけていた小十郎が微かに唇を動かした。
声になることのなかった言葉を残し、何事もなかったかのようにすぐさま政宗の後を追い、去っていく。
二人の主従の姿が見えなくなってすぐ、何もなかった空間…まさしく小十郎が睨みつけていた場所が歪んだ。
そして現れるのはオレンジの髪を持つ一人の男。
「やれやれ…竜の旦那も怖いけど、右目の旦那の怖さも尋常じゃないね」
頬を引きつらせ、小十郎が見せたのと同じように口を小さく動かす。

『次はねぇと思え』

それは紛れもなく佐助に向けられた言葉。
殺気の欠片もなかったことが寧ろ怖い。
「…あんまり、あのお二方には手を出したくないねぇ…」
いまいち本気には聞こえぬ弱音を吐いた佐助の姿が、今度こそ完全にその場から消えた。

サスダテ…だけど小政前提。多分。
サスダテはどうやっても幸せになれないような気がする。
二人とも、徹底的なリアリストだから。
だからそんな佐助が小十郎は嫌いなんだ…といいなぁ、とか。