幕間

小十郎が梵天丸の傅役になって一ヶ月。
今まで乳母の喜多が行っていた身の回りの全てを小十郎が一切引き受け、それが日常となりつつあった。
朝起こすところから始まり食事の準備や着替えは勿論、勉学をも教える。
またこの数日、梵天丸は木刀をも持つようになった。武家の子であれば武道も必須である。
身の回りの世話から始まり、そのようなことまで全て教えるのは小十郎であった。


「まさか貴方に子育ての才能があるとは思わなかったわ」
「俺も自分で驚いています」

一ヶ月ほど前にも、似たような言葉を同じ人物に向けて口にした気がする。
己の前に座る義姉へと茶を差し出しながら、小十郎は真顔で返した。

「そういえば貴方、きっちりするところはきっちりしてるものねぇ」

茶碗を手にし、義弟の入れた茶を飲みながら喜多はしみじみと呟いた。
自分は子どもの相手をするのに向いていないと思ったのが一ヶ月前。今でもその思いは変わらない。
しかし意外なことに、梵天丸は彼に懐いていた。
正直、自分のどこに彼が懐いているのかが分からない。だが、懐かれればやはり子どもと言うのは可愛いもの。
子どもがさほど好きではない小十郎も、一心に慕われれば満更でもない。

「まだまだ人見知りはしますし、外には出たがりませんが。それでも若は変わりましたよ」
「…私には、貴方も変わったように見えるけどね」

微笑む姉の言葉に不審そうに眉を寄せた小十郎は、しかし回廊を歩く小さな足音に背後を振り返った。
障子に小さな影が映り、そぅっとそれが開く。
その隙間からおどおどと左目で覗くのは己の主である梵天丸その人。

「こじゅうろ…」
「梵天丸様、どうなされましたか?」

姉に向けていた体を廊下のほうへと向きなおし、小さく己の名を呼ぶ少年を見つめる。

「その…書物を読んでいたのだが分からないところが…」
「分かりました。すぐに参りましょう」

ぼそぼそと消え入りそうな声で呟く少年に一つ頷くと、小十郎は背後の義姉を振り返った。

「そういうことですので失礼します。茶碗はそのまま置いといてくださって結構ですので」

丁寧に義姉へと一礼した小十郎は立ち上がり、そっと障子を開ける。
途端、安心したように少年が青年の手をぎゅっと握り締めた。
手を握られた青年は、小さく柔らかな手をそっと握り返す。
もう一度頭を下げ、部屋を出て行った義弟と幼い主を見送った喜多は茶碗を手にしたまま、今は誰もいない空間を眺める。

「…あんな優しそうな顔をして…。変われば変わるものなのねぇ…」

あの様子からすると青年は気付いていないのだろう。
少年を見る眼差しが、まるで自分の子どもか弟を見るかのように柔らかなものであることに。
たかが一ヶ月、されど一ヶ月。
変化は内気な少年だけでなく、無愛想な青年にまで現れているらしかった。

梵がこじゅうろに懐いてきた頃のちょっとした日常。
小十郎は子どもが嫌いだの苦手だの言いながらも面倒見のいいタイプ。
たっぷり情が移ってから、その事に気付くくらいの鈍さでいい。