生き残り話(ジュリアン編)

ここ数日の食事を思い出しても、干し物を中心とした携帯食程度のものしか食べた記憶がない。
食べ物ではあっても、それは料理と呼べるものでは到底なく。
嬉々として、動くのに邪魔なローブを脱いで椅子の背にそれをかけた。
何を手伝おうかとジュリアンを振り返ったシードは、そこに息を呑む姿を見つめて目を瞬かせた。
そして思い出したように袖の揺れる、本来右腕があるべき場所を見下ろす。
最近では右手のない生活にも随分と慣れ、それが当たり前になっていたため失念していた。
残っている上腕に触れる。
「何か義手つけるのも馬鹿らしくてな。金出して動かない手を買っても…邪魔そうだし」
強がりなどではなく、どれも本気の言葉だ。
義手はあくまでも、見た目の体裁を整えるだけのものでしかない。
それならば動かない手など、ないほうが邪魔にならない分ましだ。
へらりと笑いながら告げれば、腕を見つめたままのジュリアンがゆっくり目を瞬かせた。
「剣を…左に下げてらしたので…」
うん?と右腕から左の腰の剣へと視線を落とす。
「左に下げてないとどうも落ち着かなくてな。まぁ、逆手でも使えるし」
一応初めは右に下げていたのだが、どうにも居心地が悪かったのだ。
長年の相棒である愛剣の柄を一撫でする。
既に5年近い付き合いになるこの剣は、将軍位に就いたときに皇家より下賜されたもの。
皇国の刻印が刻まれた鍔には、それを隠すための布が巻かれている。
シードの父親の形見である剣と、クルガンが皇家より下賜されたそれは、今もあの城の下に眠っているはずだ。
「他にも…どこかに怪我を?」
ジュリアンが視線を、鍔に巻かれた布に移しながら小さく尋ねかける。
「いや、腕一本と…体に傷跡が増えたくらいだな。骨もくっついたし」
僅かに安心したらしいジュリアンが、今度はクルガンへと視線を向ける。
「クルガン様は…」
「俺は特に…」
「嘘吐け」
否定しようとしたクルガンに先んじてシードが口を挟む。
背後から突き刺さる視線を無視したシードが、睨んでくる男を肩越しに指差す。
「折れた右足が変にくっついたらしくてさ、よくよく見たら足は引きずってるし…」
一度そこで言葉を切り、シードは恨みがましい眼差しを背後に立つクルガンへと向けた。
「多分こいつ、左目がほとんど見えてない」
「………知っていたのか」
「お前を見てりゃそれくらい分かるっての。俺を誰だと思って…ジュリ?」
意外そうな友人の口調と表情に、やはりとばかりに眉を寄せて睨みつけたシードは、しかし視界の端に笑みを認めて怪訝そうにその人物の名を呼ぶ。
呼ばれたジュリアンは、そこで初めて自身が笑みを浮かべているのに気付いたのか、慌てて自らの口元を押さえた。
「え?あっ、す、すみません!決してお二人の傷を笑ったのではなく、ただ…」
大きく頭を下げながらすぐさま謝ったジュリアンは、一度そこで口篭ってから、一度は消した暖かな笑みを再び浮かべた。
「あの頃と…あまりにお二人が変わらないのが…凄く嬉しくて…」
柔らかな笑みと共に告げられ、2人が思わず顔を見合わせる。
それから、どこか苦いものの混ざった笑みを口元に刻んだ。
「一体お前はいつからそんな泣き虫になったんだ?」
再会してから何度目か。
またしても涙を浮かべたジュリアンは、それが流れる前に目許を拭った。
「今日だけです。…少し遅くなりましたが、夕食の準備をしましょうか」
照れたように答えたジュリアンが気持ちを落ち着かせるように深呼吸して、話題を元へと戻す。
その様子に笑いながら、同意するようにシードが小さく頷いた。




昇格

構えていた弓をゆっくり下ろしつつ、隣で矢を手にするシードへと顔を向ける。
「…出所は?」
「さぁな。俺もついさっき、ジュリに聞いたところだ」
そしてシードの有能な副官であるジュリアンの話によれば、その噂は軍の一部などではなく既に大半に広まっているらしい。
「知らぬは本人ばかりなり、ってな感じらしいぜ」
クルガンの視線の先でシードが矢を弓につがえる。
それほどまでに広まっているならば、出所を特定するのはかなり困難だろう。
「そのような流言…」
「で、俺はお前に連絡を伝えに来たわけだ。明日の朝一番、緊急会議。将校は必ず出席のこと」
シードが弦から手を離す。
放たれた矢は辛うじて的に当たりこそしたものの、中心というには程遠く。
納得がいかないというように首を捻るシードの横で、クルガンが小さく溜め息を吐いた。
果たしてそれは新しい軍団長を決めるためのものなのか、既に決まった新しい軍団長を発表するためのものなのか。
何にしても、有力株はシードとクルガンの二人ということに違いはないのだろう。
「そのような情報が一般兵にまで広がるとはな」
恐らく本来ならば、いまだに伏されているであろう情報。
それが一般兵の間に広がるというのは尋常なことではない。
「機密が漏れるとは、我が軍も落ちたな」
「秘密ってのは、誰かが口にした時点で秘密じゃなくなるんだよ」
「秘密ではなく機密だ」
「同じことさ」
軽く流したシードは、いつの間にか再び矢を手にしている。
僅か目を細めたクルガンが、その弓を少しばかり持ち上げる。
「仰角が悪い。それだと今度は的にすら当たらん」
これでいて戦場ではほぼ確実に急所を狙えるのだから、つくづく実戦向きの男である。
尤もシードは弓があまり好きではないらしいが。
おおよその角度を計算して高さを調整してやる。
大量生産された練習用の安い弓が軋むような音を鳴らす。
しっかりと引いた弦を離すと、中心に程近い位置に矢が刺さった。
感心したようにシードが目を丸くする。
「弓って距離によって角度が違うから難しいんだよな…」
気を良くしたらしいシードが呟きながら、更に矢を手にする。
「戦場ではきちんと当てているだろう」
そもそもが、弓を手にするシードなど滅多に見れるものではない。
「あんなもん勘だ」
当然のようにきっぱり言い切られた言葉に、クルガンが思わずと溜め息を落とした。




湯葉

「レオン・シルバーバーグ?あのおっさんが?」
「シード、口を慎め」
「どうせ聞こえやしないさ」
窓枠に肘をかけながら眼下を見下ろすシードが気のない返事を返した。
見下ろす先には二人の人物。
一人は小柄な壮年の男。
クルガンから名を聞いたばかりの、レオン・シルバーバーグ。
ハルモニアに存在する名家の一つ。
数多く有能な軍師を輩出していることから、軍事に携わる者の中にシルバーバーグの名を知らぬ者はないとまで言われている。
現に近いところでは、3年前に赤月帝国を滅ぼし、新たにトラン共和国を打ち立てた解放軍。
その軍師もシルバーバーグ家の人間であった。
そして現在対立している同盟軍の軍師も、シルバーバーグの弟子。
記録を遡れば、群島諸国を初めとして、シルバーバーグ家が携わっている戦争というのは実に多い。
無論シードとて、シルバーバーグの名を知らぬわけがない。
「レオンってぇと…赤月の解放軍の副軍師か」
確かあの戦乱の最中、その名を聞いたことがある。
「あぁ。尤もその際は、これといった行動には出てないようだが」
「ま、正軍師もシルバーバーグだったしな」
実力は不明だが、シルバーバーグ家の人間であるからには、軍師としては長けているのだろう。
とはいえ、元より軍師というものに縁遠いハイランドだ。
幾ら彼の有名なシルバーバーグ家の人間とはいえ、さほど興味を惹かれる対象ではない。
隣に立つクルガンに聞こえぬように小さく嘆息を落とし、レオン・シルバーバーグから、その隣に立つ男へと視線を移した。
黒騎士、とでも表現すればいいか。
黒に近い暗緑色の服の上に、黒く厳めしい鎧を身に付けている。
目までを覆う兜のせいで、顔を知ることは出来ない。
ただ、長く明るい金の髪だけが知れる。
「…で、あれは何だ?」
声を小さく、低く抑えてクルガンに問う。
「レオン殿が連れてきた男だ。それ以外は知らん」
つまり説明はなかったと言うこと。
そっけない物言いと、少なすぎる情報。
じっと黒騎士に視線を向けたまま、眉を寄せた。
「あれは…人か…?」
「少なくとも、モンスターではないだろうな」
それは気配から分かる。
だがモンスターでないとはいえ、人のものとするには余りに禍々しい気配。
「ふぅ…ん?まぁ…関係ないことだがな」
何のために連れてきたのかは分からないが、自分に関係があるとは思えない。
どうでもいいとばかりの返事を返したシードは、つまらなさそうに欠伸を洩らした。