これから

つけられている。
ふと気付いたそれに、シードは度の入っていないメガネの下からゆっくりと周囲を見回した。
小さな町とはいえ人通りは多い。だからこそ気配に気付くのに遅れたのだが。
無視すべきか誘うべきか、逡巡するも一先ず放っておいてクルガンとの待ち合わせの場所に向かう。
変に町中で目立つわけにもいかないし、当面必要な物を買い込んだクルガンと合流した後はどうせすぐに町を出るのだ。
対応するのは、町の外まで連中がつけてきてからでも十分間に合う。と言うよりも、その方が都合がいい。
左腕に食料が入った紙袋を抱えたまま、全身を隠すように羽織ったローブを翻して待ち合わせ場所である町の入り口へと向かう。
気配は依然ついてくる。二人だろうか。
髪はきちんとフードで隠してあるし、顔も分かりにくいようフードを深くかぶって伊達メガネまでかけている姿。
一体何故ばれたのだろうかと首を捻る。
何にしても運が悪かったなと心中呟いたところで、前髪を下ろし、旅装姿のクルガンの姿を見つけた。
こちらも同じくフレームのないメガネをかけている。
尤も、シードのものとは違い事実緩いながらも度は入っているものなのだが。
しかしこうして見るとずいぶん印象が変わるものだ。
無論、子供騙しのようなものでしかないため、ある程度見知った者にならば一目でばれるのだろうが。
「つけられてる」
足早に駆け寄り、小さく耳打ちすればそちらを見ぬまま頷いたクルガンが、何事もなかったかのように無言で歩き始める。
それに倣ってシードも隣を歩きながら町を出る。
小さい町にも関わらずその人の多さのためか、比較的立派な街道があるが、それでも道を少し外れれば隣はモンスターの住まう森である。
ちらりと目で示し合わせて道を逸れ、森の中へと迷わず入る。
諦めればそれでよし、それでも追ってくるならば―――無視するわけにはいかない。
背後で躊躇いの気配を感じるも、二人の人物は後を追ってきたらしい
。自分たちが立てる音とは別に、草木を掻き分ける音が聞こえてくる。
どうやら自分たちの存在を隠すことも止めたらしい。
恐らく向こうとて誘われていることに気付いているだろうに、それでもついて来る二人を剣が振れる程度に開けた場所まで連れて行く。
木々の合間をすり抜け、目的の場所へと出た二人はその場で背後を振り返った。

少し遅れて、木々の合間から二人の男が姿を現した。その腰には剣が下げられている。
「ハイランド元将軍のクルガンとシードだな?」
歳は四十前と思しきがっしりした体格の男が低く落ち着いた低い声を放つ。
「だとしたら?」
小さく息を吐き、腕に抱えた荷を地面に置くシードの傍らでクルガンが平然と言葉を返す。
「やっぱり生きていたのか…。大人しく捕まって刑を受けろ!」
まだ歳若い長身の男が呟きを零してから怒鳴りたてる。
「何のために、こんなこそこそしてると思ってんだよ。…なぁ、やっぱこれ、意味ないんじゃねぇの?」
煩いと言わんばかりに片耳を押さえつつ、呆れた口調で漏らしたシードは、隣で荷を置くクルガンに話しかけながら邪魔なメガネを外して紙袋の中へと落とす。
「だから色の付いたものにしろと言ったんだ」
「絶対嫌だ。これでも妥協してんだからな。大体俺よりお前こそどうにかしろよ」
フードを下ろし、鮮やかな赤い髪を後ろで一つにまとめた頭を露にしながら不服そうに呟けばクルガンが小さく鼻で笑う。
「いつも同盟の連中を連れてくるのはお前だろう?」
「こんな暑っ苦しいローブ着てまで頭隠して頑張ってんだよ!」
「…ふ…ふざけ…っ!」
頭に血が上りやすいらしい長身の男が再び何か怒鳴りかけ―――不意に息を呑むように言葉が途切れた。
初めのうちは不快だった反応だが4、5回目ともなればいい加減に慣れてくる。
「季節はずれのそれが反対に気を引くんじゃないのか?」
「俺にボウズになれってんのか?それは」
脱ぎ捨てられた、何とも時期外れなローブを見下ろしながらのクルガンの台詞に、眉間に皺を寄せてじろりと睨みつけた。
「ほら、やるんならさっさと来い。刑を受けろってんなら、まずは捕まえてみろよ」
左の腰に下げた剣の柄を左手で逆手に握り締め、白刃を鞘より抜き放つ。それを手の甲でくるりと回して持ち直した切っ先を二人の男へと向ける。
「それとも隻腕の奴には手が出せねぇほど紳士なのか?」
薄い笑みと共に揶揄の言葉を投げかけながら、自らの右腕へと視線を落とす。
七分ほどの袖から覗くはずの腕は、そこにない。
袖は半分ほどが厚みを持つことなく揺れている。
その情けない姿に僅か目を細め、視線をゆっくり上げて、笑む。
「尤も、そっちにその気がなくなっても…俺らのことを言いふらされちゃ困るんでな、悪いけどここで死んでもらうぜ」
まるで悪人そのものの台詞だな、なんて内心苦笑を漏らし。
それでも彼らを殺さなければ、後々自分たちが痛い目に遭うのは必至で。
生き延びるため、シードは漸く剣を抜いた二人に向かい地を蹴った。
狭すぎる間合いでは走るというほどの距離もなく。
身を低くして、いまだ構えの整わぬ長身の男の懐へと文字通り飛び込んでは、左から右へと腹部を裂いた。
が、予想以上に浅い。即死には至らない。
舌を打つも、致命傷を負った男は無視し、振り切った剣で間合いから斬りかかってきた刃を受け止める。
全体重をかけられれば、当然のように刃はじりじりと近付いてきて。
しかしシードは焦ることなく、すぐ傍の男へと微かに笑いかけた。
「悪いな」
一言謝罪の言葉を口にすれば、男の顔が怪訝を浮かべる。
次の瞬間、何も分からないままに中年の男の首が宙を飛んだ。
ずるりと倒れ掛かってくるその体を蹴り払うと、その向こうには剣を手にした相棒の姿。
どさりと重い体が土に落ちるのを見届けることなく、無表情なままのクルガンが腹部を裂かれた男の心臓へと剣を突き立てた。
びくりと大きく体を跳ねさせ、見る間にその青の瞳が濁り出す。
「正々堂々なんて悠長なことを言ってられないくらいには、俺らも生きるのに必死なんだよ」
絶命した二つの死体へと冷めた呟きを落とし、その服で剣についた血を拭い取る。
そして剣を、左腰の鞘へと戻した。

「大して持ってねぇな」
腹部から内臓を零れ出させる男の懐から財布を抜き取ったシードは、その中身に残念そうに眉を寄せた。
他に金になるような物もなさそうだ。
「そう嘆くな。こっちはそれなりに入っている」
首の切断面からほとんどの血を流しつくした死体を探っていたクルガンが、それなりに重そうな財布をシードのほうへと投げてよこした。
ずっしりした重さのそれを受け止めたシードは嬉しそうに中を覗き込む。
金貨は数枚しかないが、それでも硬貨の数は多い。
これだけあれば、あと僅かな同盟領を抜けることができるだろうか。
「とりあえず同盟領さえ抜ければ、傭兵としてでもやっていけるだろうしな」
それまでの路銀は必要だ。
一応宝石やアクセサリーといった金目のものはまだいくつか残っているが、金ばかりはあって困るものでもない。
なければ困るが。
そもそもが正当防衛のようなものであるし、金を残しておくのも勿体無いし、それをもらって置けば金を狙っての仕業だと判断される可能性もある。
自らにそう言い聞かせて深く考えないようにしながら、シードは二つの財布を懐へと仕舞いこんだ。
その気がなくとも生き残ってしまったからには、きちんと生きるのが死んでいった仲間たちに対して唯一できること。
服に血が付いていないことを確認したシードは踵を返して荷物のところまで戻る。
「少し離れてから荷の整理をしよう」
「あぁ」
荷を取ろうと身をかがめれば、肩にローブがかけられた。そのままクルガンの手が赤い頭にフードをかぶらせる。
「ボウズは絶対嫌だし…染め粉は金も面倒もかかるし…」
前髪を隠すようにぐいっとフードの端を引っ張って深く被ってから荷を持ち上げる。
同じように紙袋を手にしたクルガンが、フードの上からその頭をぽんと叩いた。
「一度試してみればいい。手間はかかるが、見つかりにくくなることを思えば決して高くはないだろう」
「…なんか楽しそうだな」
心なしか、その声が弾んでいる気がしてシードは上を向いた。
深くフードをかぶっているために、そうしなければ相手の顔を見ることが出来ない。
フードの下から覗く紅玉は以前と変わらぬようでありながら、どこか昏く澱んでいる。
ハイランドがなくなって以来、消えることのないその色に見つめられたクルガンが痛ましげに目を細めた。
が、それはシードが瞬きをする間に消え、彼に気付かれることはない。
あの時死ぬことを望んでいた彼を助けたことは間違いだったのかと、時折感じる苦いものを呑み込み、ただ口元で僅かに笑う。
「気のせいだろう?ほら、長く死体の傍にいるのは不味い」
早く行こうと。そう促されてシードが渋々頷く。
それを見て荷を手にしたクルガンが、先ほど歩いていたのとは異なる街道へと出るべく軽くシードの背を押してから脇を通り過ぎ、前を歩き始める。
まるで暗いところにいる彼の道しるべになろうとするかのように。

シードとしては死に場所を失って、ただ生きてるだけ。
でもクルガンがいるからこそ、少なくとも傍目には普通の生活が出来る。そんな感じ。