届かぬ祈り

「すっかり忘れてたんだけどさ、皇子の夢を見たんだ」
目を閉じ、両手で石を支え。
まるで祈るかのようにそれに額を押し当てたシードが独り言のように呟いた。
「あの時と全く一緒で、ただ俺の意識だけが今の俺のもので…今日、また同じ夢を見て思い出した」
墓の形をなさぬ、転がっていたままの姿の石に、その下に埋まる者の詳細は一切ない。
祈りの言葉もなければ、鎮めの言葉も、慰めの言葉もない。
唯一刻まれている『R』の文字を指でなぞる。
この文字だけが、この場に眠る人を知らせるもの。
シードが一人で言葉を紡ぎ、何を言うでもなくクルガンは黙ってその言葉を聞いている。
それはいつもと同じ光景。
「一昨日、この森にモンスターの討伐に来てな。確かに…気にかかってはいたんだが…」
モンスターとしてのゴーストは別だが、死んだ者が幽霊になるといったことは勿論、死んだ後に恨みなどといった念が残るなどとはこれっぽっちも思ってはいない。
まして、それらが生者に何らかの影響を与えることなどあり得ない。
そのようなことがあるのであれば、自分は今までに殺した何十、何百という人々の恨みを受けているはずだ。
自分を始めとした戦場に生きる者は皆、死者に取り殺されなければならない。
尤も、シードは今のところ、そのような者は見たことがない。自身も健康そのものだ。
だからそのような存在は信じていない。 当然のことながら、かつての主君とてそのようなことは信じていなかった。
そのような人が、自身の墓参りを望むとは思えない。
彼が死した後、どうして欲しいと思っていたのか今となっては分らぬことであるが、元より、死んでしまえば肉の塊に過ぎないと言っていた人だ。
恐らく丁寧な埋葬すら望んではいなかったのではないだろうか。
そのあたりは定かではないが、ただ、こうして生者が墓参りをし、供養することは決して無駄だとは思わない。
これとてただのつまらない感傷、自己満足と言ってしまえばそれまでであることには違いないのだが…それでも、少なくともシードにとっては無意味なことではない。


死んでしまえばそれまで。
死した人に対して生者が為すことは、全て生者のためである。
泣くことさえ死した人を哀れむためではなく、死した者においていかれる自らが可哀想だからだという。
人間とはつくづく、どこまでもエゴに満ちた存在なのだろう。
だからこそ、先日この森に来て彼のことを思い出し、墓に参りたいと思ったことも自分のエゴだとシードは分かっている。
自分は彼を裏切り、死に追いやった。
恐らく彼の墓に参る権利など自分にはない。
罪悪感を覚えるくらいなら、初めから裏切らなければ良かっただけのこと。
それでも、それらを全て了承した上で彼を裏切った。
国を守るという、大義名分のもとに。
「原因があるとしたら…やっぱ罪悪感、なんだろうかな?」
そんな呟きとともに、思わず苦々しい笑みが浮かぶ。
あの日以来、頭をよぎることは多々あったが、決して深く考えることはしなかった。
だからこそ先日、この森に来た時も出来るだけ頭から追い払うようにしていた。
しかしやはり、引っ掛かっていたらしい。
だからこそ昨日、今日とあの日のことを夢に見たのだろう。
墓に参り、供養するのは己のため。自らの心を整理するために行うこと。
そのことを識っているシードは、ただ祈る。
彼の人に届くことなどないことを知りながら、ただ自らのために。
信じもしない神に、ありもしない彼の魂が癒されるようにと。
矛盾を心から祈る。
自分の心が慰められるように。


無心にその行為を続けていたシードは、石から額を離しながらゆっくり目を開いた。
相変わらずの、光しかない世界。
ただ、僅かな影で、そこに石があることを知る。
手に触れる硬い感覚だけが、確かなその存在を知らしめる。
この下に眠るのは一房の髪と、一振りの懐剣のみ。
自らの手で埋めた、それを想う。
やがて一通り自らの祈りを終えたシードは、一般的な墓参りのようにぱんっと音を立てて顔の前で手を合わせ、再度目を閉ざした。
「何か花でも持ってくるべきだったかもな?そんなの、別に欲しくもないだろうが」
儀礼的なそれを短く終わらせたシードが背後を振り返り、おかしそうに笑う。
花などという、何の役にも立たない者は彼にとって、邪魔以外の何物でもないだろう。
同じ備えるなら、酒精の方がきっと喜ばれる。
いっそ墓には不釣り合いなまでの、血などの方が彼のお気に召すだろうか。
楽しげに考えながら立ち上がれば、すぐ隣に手が伸ばされた。
一呼吸遅れて、仄かな花の香。
「少しだけだが、そこにオダマキが咲いている」
「オダマキ?」
まるで祈るように頭を垂れる、その花が脳裏によぎる。
それが石の前に置かれたところを想像した。


自分勝手な祈念のおかげか、随分と気分が軽くなった気がする。
つくづく人間とはエゴの塊だと思い知らされる。
だが或いは、それこそが生きていくために必要なことなのだろう。
自分のためだからこそ、こうして強く、生きることに執着できる。
生に執着することは決して悪いことだとは思わない。醜いとも思わない。
生きようとすることは、生き物にとっての本能なのだから。
「それにしても…オダマキ、ねぇ?紫のやつか?」
「あぁ、そうだが?」
それがどうしたと言わんばかりの声色を聞きつつ、小さく笑う。
以前、戦に赴く自分に、見知った花屋の娘が紫色のオダマキをくれたことがある。
その花言葉と共に。

『勝利への決意』

裏切ってしまったかつての主に供えるにしては、何ともお似合いではないか。
不審げな眼差しを向けられているであろうことは想像に容易いが、それを視認できないのをいいことに無言でやり過ごす。
それにしても本当にいい天気だ。
暖かくなりつつある風を感じ、シードは明るい空を仰いだ。