届かぬ祈り

急遽、有給休暇の許可を取って半刻。
多少曇ってはいるものの天気が悪いというほどでもなく。
それゆえなのか何なのか、機嫌がいいらしいシードはのんびりクルガンと馬を並べていた。
クルガンとしては目の見えないシードを馬に乗せたりはしたくないのだが、当の本人が「大丈夫だ」と言うが早いか、さっさと愛馬に乗ってしまったのだ。
とはいえ何も一人で行かせるわけでもなく、また馬というのは利口で、非常に主人に忠実な動物である。
さればこそ特に問題もないだろうと思っていたのだ。
が、これほどの遠出になるとは流石に予想外だった。
やはり己の馬にシードを乗せて走らせれば良かったと思うも、後の祭り。
いまだに行き先を知らされていないクルガンとしては、少しでも早く目的地に辿り着くことを祈るばかり。
何せ城に戻れば、二人分の仕事が山積みとなって待っているのだ。
「本当に道はあっているのだろうな?このまま進めば、同盟領に入りかねんが」
幾分の不安を感じ、尋ねれば、手綱を握ったままシードが頷く。
「そりゃ良かった。道は間違ってないようだぜ?」
まるで他人事のように笑ったシードが、しかし僅かに表情を改め、愛馬の首筋を軽く叩いた。
「でもこいつも道がわからなくなる頃だろうから…皇子のとこまで、連れてってくれるか?」
言われて、漸くと気付く。
目の前に広がる森。その向こうには同盟領。
それはつまり、かつての主君が命を落とした場。
あの時、彼の髪を僅かばかり切り落とし、ハイランドが一望出来るこの丘の上へと埋めた。
自己満足ともいえる、ただの感傷に過ぎないのだと分かってはいたのだが。
あれからさほど時が経ってもないにも関わらず、そのことに全く気付かなかった自分にクルガンは軽い驚きを覚える。
あっさり忘れてしまえるほど小さな出来事ではなく、また忘れてしまおうと願えるような出来事ではなかったはずなのに。
余計な言葉を発することなく一度頷いたクルガンは、すぐにシードの目が見えないことを思い出し、頷きを声で返した。
名を刻むこともなくひっそりと作ったそこへは、あの日以来一度も訪れてはない。
何もなく、ただ一房の髪を埋めた上に手ごろな石を置いただけのもの。
他の誰に知られることもない。
前を進むクルガンの馬にシードの馬が続き、互いに何を話すでもなく馬の歩みを進める。
「着いたぞ」
見覚えのある景色に、言葉を発しながらクルガンが馬の歩を止めた。
一歩分遅れて、シードの馬も歩みを止める。
それを察したシードが危うげなく馬から降りた。
「その辺で草でも食ってていいぞ」
鼻筋を軽く叩かれた馬は頷くようにシードへと鼻先をすりつけてから、ゆっくりと方向を変えた。
シードと同じように馬から降りたクルガンが、自らの馬の鼻筋をやはり同じように叩けば、首を縦に振るかのような仕草をして鹿毛の方へ歩んでいく。
「こっちだ」
見えぬ目で周囲を見回す男の手を取る。
僅か数歩、足を進めたクルガンは、戸惑いにも似た表情を浮かべるシードの顔を見て、口を閉ざしたままそっと冷たい手を離した。



二頭の馬の緩やかな足音はもう聞こえない。
ただ、風が木々や草をざわめかせる音だけが耳に届く。
肌を撫でていく風が吹く方へ一歩、二歩と、手を引かれるままに歩を進める。
いつもはひんやりと感じるその手が暖かく思えるのは、それだけ自分の手が冷たいということだろうか。
何歩目かを踏み出したところで、すぐに歩みは止まった。
一瞬の沈黙。
そして引かれていた手が離れた。
こめかみを流れる血の音が煩い。
まるで立ちくらみを起こしたかのように、その場にしゃがみこむ。
恐る恐る右手を伸ばす。
指先に何かが触れた。
柔らかく倒れる。これは草だ。
それを掻き分けるようにして、ゆっくりと腕を伸ばしていく。
また、指先に何かが当たった。
草ではない。もっと硬くて冷たくて、ごつごつとした手触り。
石。
もう一方の手も伸ばし、両の手でそれに触れる。
楕円形に近い、腕の中に抱え込めるほどのそれは、あの日、自らが彼の墓守として選んだものに違いなく。
シードは静かに瞼を伏せた。