届かぬ祈り

暖かく心地良い水の中でたゆたう感覚。何もせず、このまままどろみ続けることが出来れば、さぞ幸せだろう。
抗い難い心地良さの中、しかし目を開けなければならない。
何故なのかは分からないが、そうしなければならないことは分かる。
それを不愉快に感じながらも重い瞼を持ち上げる。
ここは森だろうか。周囲は暗い。空には無数の星。
この情景には覚えがある。
ああほら、やっぱりそうだ。後ろにはクルガンが立っている。まるで俺を支えるように。
彼が見ているものは分かっている。分かっているからこそ、見たくなくて目を逸らせた。
途端に耳へと低い囁きが注ぎ込まれる。

目を逸らすな
あの方の最期を見届けるのが我々の義務だ

…と。
全くあの時の再現じゃないかと思いながらも、俺は一際高い金属音に引き寄せられるようにそちらを見てしまう。
彼は、いた。
あの時と寸分違わぬ姿で。
全身に刺さる矢。血に汚れた体。手には折れた剣。片膝をつき、それでも尚、雄々しい背中。
会いたくて、もう一度この目に映したくて仕方のなかった人。
なのに何故だろう。クルガンの声は小さくともあんなに鮮明に聞こえたというのに、彼の声は届かない。
不思議と、言葉を発しているということだけは分かるというのに。
それがもどかしく、苛立ち、悔しさの余り涙が滲みそうにすらなる。
「おれは!」
頭の芯が痺れ、沸騰しそうな程じんじんと熱くなった瞬間、世界に音が戻って来た。
「おれが想うまま、おれが望むまま!邪悪であったぞ!!」
立ち上がった体がぐらりと傾ぐ。
ゆっくりと、スローモーションのように倒れて行く体。
彼がこちらを見る。
もう一度見たいその顔は、まるで涙に滲むかのようにぼやけていて…。

「…眩しい…」
目が覚め、ぽつりと呟いたシードは明かりの方へと目を向けた。
明度は知れるが、何も見えない。視力はまだ戻っていないらしい。
その事実に溜息をついて、何故か気持ちの悪い目元を手で擦ろうとした。が、眉間に皺寄せて動きを止めた。
目元からこめかみにかけてが濡れている。どうやら寝ながら泣いていたようだ。
手探りで己の寝ていた場所をも触れば、濡れたシーツの感覚が手に伝わってきた。
と、そこでベッドの上にいるのだと気付いた。昨日は確か、あのままベッドの上で寝入ってしまったはずだが。
クルガンがここにいる様子はない。恐らく隣の執務室にいるのだろう。
「寝ながら泣くって…ガキじゃねぇんだから…」
ぼやき、体にかけられているシーツで目元やこめかみのあたりを拭いながら、原因となった夢を思い出す。
忘れる事の出来ない過去。
時間が経とうと、夢であろうと、あれほどまでに生々しい…。
今思い出しているのは昨夜の夢か、少し前の現実か。
良く分からないままに記憶を辿っていたシードは不意に引っかかりを覚え、見えない目を周囲に彷徨わせる。
そして服を探す間も惜しむようにシーツを肩から羽織るとベッドから降りた。
慣れた部屋を頭に描きつつ、扉へと歩み寄る。
「クルガン!…と、レイシャもいる、のか…?」
扉を開けながら相棒の名を呼び、しかし気配が一つではないことに気付いてそちらへと顔を向けた。
どうせ顔を向けたところで見えはしないのだが、こういうのは癖になっているものらしい。
「…えーと…こんな恰好で悪い…」
「あ…い、いえ…」
「お前という奴は…」
どうせ関係は知られているとはいえ、流石にこの状況を見られてしまう事には躊躇いがある。
時間と手間を惜しまずに服を着ればよかったと後悔しても後の祭り。
敢えて気にしないようにしながらクルガンがいると思しき方へ再び顔を向ける。
心底頭が痛そうに、呻くような声を漏らしたクルガンのそれをも当然無視。
方向的には、執務机に座っているのだろう。
そして軽く首を捻りながら、己の目を指さす。
「クルガン?ちょっと、これの心当たりがあるんだが…付き合ってもらえるか?」