届かぬ祈り

暫くは真剣に原因を考えていた。
このままでは洒落にならないし、一刻でも早く視力を取り戻す必要がある。
そのための近道は、やはり原因を突き止めることだろう。必ず、何かきっかけがあるはずなのだ。
時計が見えないので正確な時間は分からないが、体内時計が狂っていなければ1時間くらいは真剣に原因を考えていた。
で、この頃にジュリアンが持ってきてくれた朝食のサンドイッチを食べ。
再度考え始めたあたりで眠気に負け、まどろむことしばし、昼食で起こされ…真剣に考えることに飽き始めた。
「何も見えないのがこれだけ暇だとは…。大体考えても無理なものは無理なんだよ」
元々おとなしくしているのは苦手だ。まして暇潰しをすることすら出来ない。
少し考えたシードはベッドの端を手探りで探し、ベッドから下りた。
数年過ごしている自分の部屋なのだから、見えずとも大して不便はない。
昨夜椅子の背にかけておいたズボンとインナーを手に取り、それだけを身に付けて部屋を横断する。
そしてドアノブに手を掛けて執務室へと出た。
「シード様?どうかなさいましたか?」
僅かな驚きを含んだ声に、そちらへ目を向ける。位置からして自分の机で仕事をしていたのだろう。
「いや、あまりに暇で…」
正直に答えれば、ジュリアンが苦笑を漏らしたのが気配で分かった。
「貴方が長く、おとなしくしてられるとは思ってませんでしたけどね」
「よく分かってんじゃねぇか」
小さく鼻を鳴らしてテーブルにぶつからぬよう気をつけてソファへと歩み寄り、そこへと座る。
「しかし暇と言われましても…何も出来ないでしょう?」
「それが分かってるから余計に拍車がかかるんだよ」
むすっとして窓の外へ目を向ける。
随分と明るい。きっと抜けるような青空なのだろう。
こんな天気のいい日に外に出ることすら出来ないと言うのが苦痛で仕方ない。
三人掛けの大きなソファに横になり、肘置きに頭を乗せたところでふと思い付いた。
「なあジュリ。ちょっと手合わせしてくれよ」
「手合わせって…まさか剣ですか?」
「そうそう、どの程度通用するか…」
「私は、視覚のない貴方に負けるほど弱くはないつもりですが?」
明るく肯定すれば、何とも不満そうな声が返って来た。
「だからこその練習…」
「おとなしくしていて下さい」
嘆息しているのか呆れているのかはたまた諫めるつもりなのか、何とも判別しがたい声音が返って来た。
多分その全部が入り交じっているのだろう。
一見文官タイプのジュリアンだが、それでも部隊長などよりはよほど強い。
ジュリアンといいレイシャといい、副官というのは将軍以上に文武両道でなければやってられないのではないかと、最近つくづく思う。
将軍であるクルガンも、典型的なまでに文武両道ではあるのだが。
何はともあれ、あっさりと拒否されたシードは拗ねたように眉を寄せた。
今の己の状態を、それが自軍の者であれ、知られるのが不味いということくらいは分かっている。
となれば、迂闊にそのあたりの兵に相手を頼むわけにもいかない。
とはいえ、いつものようにクルガンの部屋に行くのも気不味い。
本来の自らの仕事に加えて己の分までを片付けてくれているのだ。それを邪魔出来るわけがない。
黙って考え込んでしまったシードに複雑な笑みを浮かべたジュリアンは席を立った。
「チェスで良ければ相手をしましょうか?但し、目が治ればしっかりと仕事をすることが条件ですが」
思いがけない提案に、反射的にシードは声のする方へと顔を向ける。
「いいのか?」
「盤が見えない分、かなり頭を使わなければなりませんが」
「とりあえず暇が潰せるなら!」
体を起こして大きく何度も頷く上官の姿に、少しばかり微笑んだジュリアンはチェス盤のある方へと足を向けた。

疲れたのかそうでないのかよく分からない。
体はほとんどといっていいほど動かしてはいないが、目が見えない分、他の感覚がずっとフル稼働していただけに、精神的疲労は大きい。
感覚が過敏になりすぎている。
戦場においてもしばしば同じ状態になるが、その時間の長さは比べ物にならない。
ましていつ戻るかも分からぬ不安が、余計に精神的負担へと繋がる。
このまま視力が戻らなければどうなるか?
まずは今の職を失う。それはまだいい。別に将軍と言う肩書きも、貴族並みの待遇にも未練はない。
ただ今のままで戦場に出れるか。剣を振るうことが出来るのか。
答えは否。
片目がない程度ならばさして問題はない。
事実、右目が潰れているにもかかわらず、シードの副官にまでのし上がって来た男がいる。
それも文官としてではなく、武官として。
両眼と隻眼では全く違う。しかし隻眼と盲目との違いは比べ物にもならない。
職を失うのは構わないが、この国を守ることが出来ないのは困る。
何よりも大切なこの国を守ることが出来ぬのであれば、自分の存在意義を失ってしまう。
自分は、この国を守るために生きているのだから。
うとうとしながら、それでも存在意義を失うわけにはいかないのだと考えるシードの耳に扉を叩く音が飛び込んできた。
続いて入って来たジュリアンが何事か言うのに生返事を返しつつ、シードはゆっくりと意識を手放した。
直前に鼻腔をくすぐったのは、甘酸っぱいレモンの香。