切実なるただ一つの未来

「…で?何の話だって?」
運ばれてきた紅茶のカップの中に角砂糖を2つ、中身が跳ねぬように気をつけて落としながら男の顔を見る。
「…今何を考えている?」
思いがけずあっさりと切り出され、しかし真意を量り兼ねる問いかけにシードは軽く首を傾げた
。 肩透かしを喰らったような気分だとでも言えば近しいか。
これだけ長引かせ、興味をそそり、好奇心を煽られた結果、ずっと閉ざされていた口から出てきた問いかけ。
これが本題だというのならば、怒りを越えて脱力すら感じる。
「今考えてる…ブランデーがなかったから、今晩買いに行こうかどうか」
結構本気で答えたのだが、矢張りというか当然の如く睨まれた。
思わず首を竦めて視線を落とし、砂糖を溶かすためにスプーンを回す。
今現在、自分が考えていること。あまりに多すぎるそれは、一体どれを答えるべきなのやら。
だから最も日常的で、重みのない答えを口にした。
相手が望んでいる答えが恐らくは、己の中で一番重みを持っているモノであろうこと、明確ではないながら確信にも近いものを感じながらも。
シードがそれ以上、自ら口を開くことはないと判断したのか。
クルガンは一つ溜息をつくと諦めたように再び、しかし今度はもっと核心に触れた問いを向けた。
「ソロン様が処刑され、お前はあの方に対してどのようなことを考えた?」
ほとんど、などという言葉では生ぬるい。
完全に確信へと触れた問いにシードは僅かに眉を上げて動きを止めた。
が、直ぐに何事もなかったかのように再び紅茶を掻き混ぜる。
仄かに甘い林檎の香りを含んだ湯気が立ち上り、それにつられるようにしてスプーンをソーサーに置いて暖かな液体を喉に流し込む。
微かに陶器のぶつかる音が残り、その後の無音。
どちらも黙り込み、先に口を開いたのは、カップをソーサーへと戻したシードだった。
「それは…どういう意味だ…?」
あの方というのはこの国の皇子、ルカ・ブライトに他ならない。
団長が処刑されたことにより、皇子に対して持った考え。
それが不満や不平とするならば、それは即ち不敬罪。それこそ処刑を受けても仕方のない―――。

「お前もあの瞬間考えたはずだ。このままでは遠くない未来、この国は滅び…」
「言うなっ!!」
立ち上がることこそなかったものの、大音量で怒鳴った否定の言葉。語るに落ちるとの言葉に相応しい。
その様子にクルガンが目を眇める。
「悪ィ…」
きつく拳を握り締めて心を落ち着かせ、大きな溜息と共に気まずげに詫びる。
これでは肯定だと自ら認めているに等しい。
もう少し、いつものように頭を冷やせば良かったのだ。
へらっと笑って「そんなわけねぇだろ」と軽く受け流せば良かったのだ。
だが―――その言葉だけは、聞き流すことなどできようはずもない。
この国の…滅びなどは考える事も許されないのだ。少なくとも己も胸の内では。
ましてやそれを口にするなどとはあってはならない。
縁起が悪いなどと言う気はないが、聞いて耳に楽しいものではない。寧ろ不愉快さを招くばかりだ。
その言葉を耳に入れないためには相手の口を噤ませるか、それが聞こえぬばかりの音をたてるか。
その突発的な考えは功を奏し、果たして前者と後者、どちらであったのかは分からぬものの、嫌な “音”が耳に入ることはなかった。
目の前の男の、その嫌な“音”を肯定するという、最悪の事態と引き換えに。
「矢張りそうか」
「てめぇ…それは不敬罪だぞ」
この国の皇子の言動の中にこの国の滅びを覚えるなど、立派な裏切り行為だ。
ギロリと紅い前髪の合間から、それよりも深い紅がきつく睨みを見せる。
感情が昂ぶっているのは一目で分かる。深い、それでいて紅玉のように鮮やかな瞳が時折琥珀の煌きを映し出す。
戦場で見せるその色は、そのまま彼の感情を表している。
普段の怠け者で、それでいて気さくな男から、戦場で『猛将』と恐れ、称えられる男へと表情が変わっていく。
しかし戦場においては敵兵のみならず自軍の兵すらも恐怖を覚える睨みも、この銀の髪を持つ男には何の効果も持たない。
彼は真っ向から見返す。
「シード。正直に答えろ。お前はあのときにそれを思っただろう」
「思ってねぇってんだろうがっ」
「シード」
静かに、宥めるかのような問いかけに噛み付くように返すと、先ほどよりも強い口調で名を呼ばれてぐっと詰まる。
どうにもこういうタイプは苦手なのだ。どのような状況に追い込まれようとも、決して平静を失わぬ―――。
それでも負けるのも癪で、目線だけは外すことなく見据える。
束の間の沈黙が下りた。

「…で?それがどうしたんだよ?」
息が詰まりそうな重苦しい沈黙に、先に耐えかねたのは矢張りシードだった。
本人は答えを出さぬまま微妙に矛先を変えたつもりなのだろうが、それこそがまさに返事としての役割を果たしている。
ただせめてもの抵抗か、視線だけは未だに此方へと向けたままに軽く睨みを効かせる。
「そのことについて聞きたい」
「だから何をだよ」
此方を見据えてくる冷たい青灰の向こうに、澄み渡った明るい青が覗く。
この様子だと明日は雨は降らないだろうか。暗くなったり明るくなったり、実に忙しいことだ。
そして少し視線を戻せばぶつかる青灰。
空のように澄んでいず、どちらかといえば少しくすんだような色をしているが、瞳の中には強い色しか見られない。
尋ねたにも拘らず、変わることなく無言を貫き通す相棒にシードは軽く肩を竦めた。
「…団長が処刑されたことについて、か」
敢えて、いつものように彼の名を呼ぶことはしない。
そして尋ねる事もなく、確信の音をもってして嘆息交じりに呟く。
静まり返った室内に、窓の外でさえずる鳥の声が入り込む。
まだ湯気の立ち上るカップを手にし、痛いくらいの視線が突き刺さる中、己を落ち着けるように口へと運ぶ。
クルガンが自分のそれに手をつける様子は微塵もない。
「あれは…流石にやりすぎだ。将を戦場で殺すことなく処刑するだなんてのは、裏切り者に行う制裁と同じだ。2度の失敗の責任だとしても…重過ぎる」
目線はカップの中の液体が描く円に落とし、重々しく口を開く。
言ってはならないとの警告を発する理性を押し留め、胸の内に澱むその感情を吐き出す。
こいつならば信頼できると思うから。
例え口にしたことで後戻りが出来なくなろうとも、後悔をするつもりはない。
寧ろ、心のどこかではこうなる事を望んでいたはずだ。
もしもこれで目の前の銀が俺と同じ答えを導き出したのならば、道は一つしかない。
そして、その道を選ぶことが出来るのは今しかない。
この機を逃したならば…一生わだかまりを抱え、ルカ・ブライトという人物に剣を捧げることとなる。
「今までまとまりのなかった同盟軍に、真の紋章と過去の英雄の名を継ぐリーダーが出たことで団結力が出来始めている。そんな時に将を処刑するのは―――…」
こちら側が混乱を招きかねない。
同盟軍が信用を持ち、勢いに乗っているのに対し、王国軍は不安に揺れている。どちらも好ましいことではない。
ジョウストン同盟が結ばれてから今まで、同盟とは名ばかりでバラバラだった市が纏まりつつある。
それほどまでに真の紋章、過去の英雄ゲンカクの名は強いのだと改めて思い知らされた。
だがそれならばこちらにも獣の紋章があり、ハーン将軍がいる。決してひけは取らないはずだ。
「無謀、としか思えんな」
口を噤んだシードに代わり、その後をクルガンが継いで口にする。
どちらも奥底にある思いは同じである。だからこそ投げかけられた質問―――。

「だからと言って何が出来る?どうしようも…ねぇだろうが」
口調は穏やかだが、その表情は硬く、きつく握り締められた拳は何かに耐えるように小刻みに震えている。
その気持ちは―――悔しさや歯痒さは分からないでもない。
一介の将の言葉など、進言すれども聞き入れられるものではない。
「このままでいるつもりか?」
静かに、確認の音を持って放たれた言葉にシードの動きが止まり、ゆっくりと顔が上げられる。
睨むような、それでいて動揺を押し隠したような瞳の色。
ほんの僅か、揺れた視線を見逃すはずもなく、クルガンは目を眇める。
「お前が、何を言いたいのか…俺には分からない」
震えそうになる声を、必死で叱咤して押さえつける。
この回りくどいやり方はこの冷徹な知将の常套手段なのだ。流されては駄目だ。
己の口からは何一つ言うことなく、一枚一枚こちらの虚構を剥がしていき、最終的には本心を露呈させる。
この尋ねかける言葉は、此方の言葉を引き出す道具。
自然早まる呼吸を押さえ、くらくらする頭を巡らせる。
「先にも言ったがこのままだと―――」
その先に待っているのは聞いてはならない言葉。今まで意識して考えぬよう努めていた言葉が。
一度言葉を切り、視線が逸らされることなく紡ぎ出される。

「あの方は、この国をも滅ぼす」