気まぐれな運命の悪戯

反射的に放り出してしまっいた箱を拾い上げ、椅子に座る。
そして箱の中からワインを一本取り出して封を切る。
「どうしても信じてもらえないってんなら、出て行ってもらうしかないわけだが。勿論、俺としてはそれでも構わねぇがな」
その方がお互いにとって、一番いい方法かも知れない。
「ただ、このことは黙っててもらわねぇと当然困るわけだが」
こいつが帰って数刻後、同盟軍が大挙して押しかけでもしたら目も当てられない。
用意してもらったグラスに買ったばかりのワインを注ぎ、味見をするように一口舐める。
去年のものより幾分酸味が強いか。
じっと黙り込んで様子を窺っていた男が漸くと動いた。
そして目の前の椅子に腰を下ろした。
グラスから視線を上げて、男の顔を見る。
一体何を考えていたのかは分からないが、何やら覚悟を決めたらしい。
「これも何かの縁だ」
にやりと笑いながら一口飲んだばかりのグラスを差し出せば、一度ゆっくりと目を瞬かせた男が笑みを浮かべながらそれを受け取った。
「…では、お言葉に甘えて頂きましょう」
今、目の前で開けたばかりのワイン。
それも目の前で毒見をしたばかりだ。
色を香りを確認するようにグラスを緩く回した後、何の躊躇もなく男がグラスに口をつけた。
彼の立てる策から何となく人物像は見えていたが、やはり相当に肝の据わった人物らしい。
「今年のは酸味が強めのようですね」
「何だ、やっぱりあんたも酒を買いに来たのか?」
この時期にこの村に来るとなれば、それくらいしかないはずなのだ。
その割に手ぶらなのが気になっていたのだが。
「えぇ、店に預けてあります。しかし今年は随分と人が多くて…まさか宿が取れないとは思いませんでしたが」
「俺と同じパターンだな」
彼も毎年、ここに酒を買いに来ていたのか。
過去にどこかですれ違っていたのかも知れない。
差し出されたグラスに気付き、それを受け取って一口飲む。
「もう一つグラスを持ってきてもらうか」
一人で飲むつもりだったので、当然グラスは1つしか用意してもらっていない。
椅子から立ち上がろうとすると、男がそれを押し留めた。
「私は一つで結構ですよ。主人も忙しそうでしたしね」
そういえば毎年暇そうにしているのに、今年は休む暇もないという風だった。
物置まで相部屋にして貸し出すほどに人が入っているのだ。
さぞかし忙しいことだろう。
「まぁ、あんたが構わないなら俺は気にしねぇが」
浮かしかけた腰を再び下ろし、机の上に頬杖をつく。

こうして向かい合って話してみると、案外物腰が柔らかいことに気付く。
戦場で見る限り、にこりとも笑いそうになかったのだが。
そしてふと、ある事を思い出す。
「…あぁそうだ。あんた、元々貿易商だったんだな」
この物腰の柔らかさは、そのときに身につけたものなのか。
以前に報告書で読んだ経歴を思い出して納得すると、不意に親近感が沸いてきた。
「俺の父親も貿易商なんだ。もしかしたら顔くらい合わせたことあるかもな」
「お父上が?名前を伺っても?」
「あー…それは止めとこう。息子の仕事が知れちゃあ、そっちでの仕事がしにくくなるだろうしな」
「…その方がいいかも知れませんね」
食いついてくるとは思わなかったが、何故か笑みを浮かべて男はあっさりと引き下がった。
少々気になるが、元より貿易商をしている父とは血の繋がりはない。
似ている点は全くないし、親子というには年も近い。
仮に彼が探そうとしたところで、見つけることは出来ないだろう。
「そういえば…きちんと名乗ったことはありませんでしたね」
「ん?」
交互にグラスを回して飲むこと数回、ふと思い出したように男が告げた。
「今更という気もしますが…シュウと申します。何をやっているかは…言うまでもないでしょうが」
何やら企むかのような含み笑い。
いや、それは穿って見ているからそう見えるだけなのか。
「何をしてるのかは、この場ではお互いに言わないほうが良さそうだな。…シードだ」
当然、嫌というほどに知ってはいるが…今日のところは、その辺は考えないほうにしておいたほうがいいだろう。
多分、それがお互いのためだ。



酒の話やら貿易の話やらをして、どれだけ経ったか。
ワイン瓶が2本、転がっていることからしてそれなりの時間にはなっているだろう。
「そろそろ寝るか…」
明日の午前中は非番とはいえ、そろそろ休んだ方がいいだろう。
欠伸をしながら伸びをしたところで、2本の剣が転がったままのベッドが視界に入った。
立ち上がってベッドの傍に歩み寄ると、それらを壁に立てかける。
どう考えても安宿のベッドは一人寝るのが限度だ。
というよりも、ダブルであっても男と一緒に寝たくはない。
まして今日は目を瞑るとはいっても、敵という事実に変わりもないのだ。
「毛布だけ一枚借りていいか?床で寝るから」
随分涼しくなったとはいえ、室内であれば風邪を引くほどでもない。
問いながら振り返ると、同じように椅子から立った男が緩く首を振った。
「いえ、元々貴方が借りておられた部屋ですので、貴方がベッドで寝るべきでしょう」
「野宿とか慣れてるし平気だって」
屋根があって壁があって毛布がある。シードとすれば、それで充分だ。
手に取った毛布を掴もうと男が手を伸ばしてきて、足がぶつかった。
「…っ!」
酔いの回った体では踏みとどまることが叶わず、背からベッドへと倒れこんだ。
先ほど剣をよけなければ、強かぶつけていたところだ。
そのことに安心しながら、一緒に倒れこんだ男の肩を叩く。
「おい、大丈夫か」
「はい…申し訳ありません…」
己の上にのしかかるように倒れた男がベッドに手をつき、上半身を持ち上げた。
そこではたと目が合った。

何故、と聞かれたならば、本能的にと答えるしかない。
先ほど宿の主人が扉を開けようとしたときのように、嫌な予感がしたのだ。
理由など何もない。
あるとすれば、男と目が合ってしまったからか。
それともまるで押し倒されたかのような、その状態に気付いてしまったからか。
そして、嫌な予感とは当たるものなのだ。
気付いたときには、唇が重ねられていた。
「ん…ッ!」
抵抗するように体を押し返そうとするも、体勢が悪い。
噛まれることを考慮してか、咥内に舌が入り込んでくることはない。
代わりに重なった唇を丁寧に舐められる。
「よせ…何考え、て…!」
首を振って、漸くと口付けから逃れると男を睨み付ける。
この体勢では幾ら男が非力であろうと、手加減して跳ね除けることは出来ない。
多少痛い目を見てもらうしかないと心を決め、腹部を蹴り上げようとするより早く、体が跳ねた。
「それは…こんな状態で言う台詞じゃありませんよ…」
低い声が耳に注ぎ込まれ、思わずと息を呑む。
ゆるゆると視線を落とすと、男の手が撫でている自身の股間は充分な膨らみを持っていて。
素直すぎる自身の反応に、シードは思わずと天井を仰ぎ見た。

確かに最近はご無沙汰で、近く娼館へ行こうと思っていたことは事実。
そんなことをすっかり忘れて、ついワインを飲みすぎてしまったらしい。
性欲というのは、酔うと自制が効かなくなりやすい。
半ば現実から逃避するかのようにそんなことを考えている間に、ベルトが外された。
随分と慣れた手つきに我へと返る。
「い、いや…でも俺はそっちの趣味はないから…!」
やはりこれは蹴り飛ばしてでも逃げるべきだ。
そう思った瞬間、再び男と目が合った。
漆黒のその瞳に先までの軍師としての色はなく、相手を求める欲情の色がありありと見てとれ。
「…」
性欲など軽蔑してそうにすら見えるストイックなこの男でも、こんな風に一人の男としての顔をするのかと思った途端、一気に抵抗する気が失せた。
そのことに気付いたのか、やや強引ですらあった男の手が僅かに緩んだ。
「…諦めたのですか?」
これだけ強引に脱がしておいてよく言う、と思ったが、口から出たのは異なる言葉。
「…あぁ。どうせ近々、金を払って女を抱きに行くつもりだったんだ。それが今日、ただになるだけの話だ」
別に男同士というのは、軍では掃いて捨てるほどによくあることだ。
ただ唯一許容しがたい点は、何故か己が女側にいるという事実のみ。
「…ただせめて、逆にしてくれないか。相手があんただってのは受け入れるから」
相手の股間に己と同じものがあるのを見て、その気になれるかどうかは甚だ怪しいものではあるが。
その一言を飲み込んで問うてみれば、馬乗りになったままの男がどこか意地の悪い笑みを浮かべた。
「そちらの趣味がないなら、抱かれるほうがいいかと思いますが」
「…プライドというか…男として、抱かれるのが受け入れがたいんだがな…」
しかしやはり、男を抱くことが出来るかといわれれば、その自信があるわけもなく。
何もかもを諦めたかのようにシードは目を閉じた。