勘違い

目の前の男を殴り飛ばした瞬間、部屋の扉が開いた。



「シード…城内で暴力沙汰とはいい度胸を…」
「ちょっ…ちがっ、正当防衛ですって!」
見事頬を殴られて床に倒れた男と、拳を繰り出したまま動きを止めた部下とを見比べたソロンの頬が引きつった。
怒声が響き渡る前に、慌てて首を振ったシードが凭れ掛かっていた机から身を起こし、扉の前のソロンへと駆け寄る。
どうやら手加減はされていたらしい。
殴られた男が転がるようにして、ソロンとシードが立つのとは異なる扉から部屋を出て行った。
必死に言い訳しようとするシードから目を離し、その様子を眺める。
逃げるということは、疚しいところがあるのだろう。
溜め息を吐いたソロンは本来の用件を済ませるべく、室内へと足を踏み入れた。
その後をシードが追う。
「数日前にも町で暴力沙汰を起こしたところだろう」
まるで子犬か何かのようについてくる部下に目もくれず諌めれば、その顔が歪むのが見ずとも知れた。
「あれは酔っ払いが絡んできたんだって説明したじゃないですか」
「だから処分も訓告のみだっただろう」
きちんとした理由があるなら言えと。
棚の資料を探しながら遠回しに告げれば、ますますとシードの表情が歪んだ。
「…だから…襲われかけまして…」
表情を歪ませながらも処分を受けるのがよほどに嫌なのか、小さく歯切れの悪い口調でシードが呟く。
あれだけ減俸処分を食らえば、そりゃあ嫌にもなるだろうが。
「どうせならもう少しマシな嘘にしろ。軍内でお前を襲うような無謀な人間が存在するわけないだろう」 まして一人で。それも素手で。
猛将として、自軍の人間にまで恐れられるシード将軍だ。
ソロン自身、例え剣を手にしていようと素手のシードを襲いたくはない。
呆れたように溜め息を吐くと、やはり子犬か何かのようにシードが上目遣いで背の高いソロンを見た。
「そういう襲うなら別にいいんですが…」
どこまでも歯切れの悪い言いように、漸くピンと来たソロンは棚に伸ばしかけた手を止め、本日初めてまじまじと赤髪の部下を見つめた。
暴力的な意味で襲われたのでなければ、性的な意味で襲われたのだろう。
それならば反射的に手が出た理由も、歯切れが悪い理由も納得がいく。
シードに男色の気がないことはソロンとて知っている。
「…お前は男に好かれるタイプだからな」
止まっていた腕を動かしてファイルを手に取り、室内に置かれた机に向かう。
シードはやはり、変わらぬ様子でついてくる。
「不幸なことに、クルガンにも同じ事を言われました。…どんなとこが男に好かれるんですかね?」
「私に聞くな。私にもその気はないのだから分かるわけがないだろう」
椅子に座ると、机を挟んだその正面の椅子にシードが横向きに腰を下ろした。
どうやら付き纏われるらしいと悟ったソロンは己の運の悪さを呪いながらも、机に書類と資料を広げる。
それから正面に座る部下の横顔を一瞥した。

確かに男色の気は持ち合わせていない。
だがそれでも、何となくは分かる気がする。
「まずは顔だ」
手にしたペンの頭でその顔をさせば、頬杖をついていたシードがこちらを向きながらきょとりと目を瞬かせた。
恐らく何のことか理解していないのだろう、この表情を見るに。
そんなシードの理解状況を知りながらも気にかけることなく、先を続ける。
「お前の顔は、無駄に造作が整ってるからな。あと、鍛えているわりに線が細い。まぁ…軍の中では女性的な部類に入るんだろうな」
よくは知らないが、と胸中で付け足す。
ただ女の代わりを求められるのであればそうであろうが、純粋に男好きな人間の場合は男らしい部分に惹かれるものなのだろう。
確かにシードの外見は女性的というよりは、どこか中性的である。
意思の強そうな眉などどこからどうみても男なのだが。
それでも細い顎などは女性のものに似ていると言えなくもない。
だが性格はどこからどう見ても男らしい。
どこをどう見ても、女々しい部分などありはしない。
外見は比較的とはいえ女性的、性格は充分に男性的。
女性の代わりを求める男にも、男好きな男にも好かれる要素はあるのではなかろうか。
何かと無頓着というか、無防備なところも多々あるのも事実だ。
「…まぁ、諦めろ」
暫くシードを眺めるも、不意に馬鹿らしくなって話を打ち切った。
何が悲しくて仕事の時間を削ってまで、部下と男色について語らなければならないのだ。
あまりに虚しすぎる。
不毛だ。
一方的に話を打ち切れば、身を乗り出して話を聞いていたシードが不満の声を上げた。
「ちょっ…どうしたらいいかアドバイスを下さいよ!」
「そんなもの私が知るかっ。自分で考えろ、自分で!その派手な頭は飾りかっ?」
部下の悩みを聞くのも上司の仕事かも知れないが、こんな相談には乗りたくない。
丸めた書類でぽんぽん頭を叩くと、小さく唸りながらも体を引っ込めた。



何かを考えているのか、シードが黙り込んで暫し。
時折気になり、ちらりと視線を上げてみるも、それに気付いた様子もなく。
どこか妙な空気の中、それでも黙々とソロンが仕事を片付けていると、不意にシードが顔を上げた。
それはまるで、子どもがいい事を思いついたといわんばかりのもので。
「ソロン様!赤月とかみたいに、女性兵も募集しませんか?」
「はぁ?」
名案だと言わんばかりに目を輝かせる部下を、怪訝の眼差しで見つめ返す。
確かに赤月…トランを初め、ハルモニアやゼクセンなど、女性兵がいる国は多い。
対して、ハイランドには女性兵は一切いない。
「…女がいても、元が男色家であれば意味はないと思うが?」
「でもほら、男ばっかりだとそっちに走りやすいっていうじゃないですか!」
事実かどうかはさておき、確かに一般論としてよく聞く話ではある。
「それは対象を女に移すということだろう?軍内部で恋愛が頻発しているなど、考えたもくもない」
疲れたように溜息を吐き出す。
他国ではその辺をどうしているのかは知らないが、そもそも軍内での恋愛は好ましくない。
元々軍というのは、情などと言ったものから掛け離れたものだ。
ルルノイエ城内で女中が色恋の話をしているだけならいざしらず、一般兵までもがそんな話をしていると思うとぞっとする。
「そうですか?結構いい考えだと思うんですが…」
自身の名案を否定されたシードが、やや不満そうに口を尖らせる。
どうしてこの男は、仕草の一つ一つがこうも幼いのか。
「私は聞きたくないぞ。シード将軍があの子ばかり贔屓しているとかいう、女の泣き言なぞ」
「そんなことしませんよ」
「どうだか…」
一瞬でそんな光景がありありと想像出来てしまった。
男に好かれやすいこの男は、自他共に認める女好きである。
第一、元々ソロン自身はそういった色恋の類は苦手なのだ。
貴族社会でのそんな話だけでうんざりなのに、それが職場でも起こるなど考えたくもない。
「一度皇子に陳情してみてくださいよ」
「そんなことを陳情できるか!したければ自分で言え!」
そんな馬鹿げたことをルカに陳情する勇気があるはずもない。
シードとてそれが叶う立場なのだから、どうしてもしたければ自分ですればいい。
思わず投げつけたくなったペンを必死で握り締めて、気持ちを押し留める。
怒鳴られたシードが懲りた様子もなく、ちぇーと呟きながら机に突っ伏した。