Länder wegen Mordes

金庫の中に入っていたのは、僅か数枚の紙。
ざっと目を通すに間違いなさそうだが、本当にこれで全部だろうかと疑ってしまう枚数。
しかしそうだというのだから仕方ない。
第一のんびり探している時間もない。
「…これ以上は俺の役目じゃねぇな」
最悪、いざとなればクルガンが何とかするだろう。
自分が言われていたのは5人の始末と、金庫の中にある情報漏洩の証拠を示す書類を持ち帰ること。
「…しかし、いいように使われてるよな…」
はぁ、と溜め息をついて立ち上がりかけ…人の気配に息を詰める。
同時に扉を叩く音。
「父上、ただいま戻りました」
訪れたのは、長男か次男か。
声で判別出来るほどに見知った相手ではない。
次男ならば話は早い。
一緒に片付けて、さっさと屋敷を出て行けばいいだけ。
長男ならば面倒なことになる。
「父上?」
訝しむ声音。カチャリという音と共に扉が開かれる。
開いた扉から覗くのは額に傷のある偉丈夫…長男。
「父上…っ!?」
部屋を開けてすぐの所で血を流して倒れる父親を見つけた男の目が室内を走り、金庫の前で短剣を抜き放つ侵入者…シードの姿を捉えた。
「何者だ!」
戻ったというのは、仕事からだったらしい。
軍服を着たままの男が、自宅内にも関わらず腰に提げていた剣を素早く抜いた。
「くそ…ッ」
思わず舌打ち、斬りかかってきた刃を掲げた短剣で防いだ。
スピード、重み、的確さ。どれをとっても申し分ない。
伊達に第2軍団の大隊長をやっていないということか。
すぐに済むと軽く考え、施錠をしなかったのは完全な落ち度だ。

怪我をし、書類を持ったままの左手は使えない。
普段は盾代わりに使っている手甲もない。
こちらの武器は短剣のみ。
跡継ぎとなる彼に重傷を負わせるわけにはいかない。
どう考えても勝てる要素がないと判断。
部屋を出るには、彼の横を擦り抜ける必要がある。
無理やりに剣を弾いて背後に跳んで距離を取る。
力が入りやすいように柄を逆手に持ち換え、体の前で構える。
文官の父親や次男と違い、それなりに顔を合わせてもいるのだが、この薄暗い部屋で知れるほどにお互い顔を覚えているわけでもない。
勿論、髪の色も一役買ってくれているのだろうが。
やや重心をずらし、タイミングをはかることなく懐へ飛び込んだ。
持ち上げられた腕の動きを見、薙ぎと判断。
軌跡を最後まで確認することなく、男の目の前でしゃがみこむ。
頭上を刃が通り過ぎるのを音に聞きつつ床の絨毯に手をつき、軍靴の上から足を思い切り蹴りつけた。
斬りかかると見せかけてのフェイントに、その長躯が揺らぐ。
その僅かの隙に手をついた絨毯を押し、身を屈めたまま脇を通り過ぎる。
バランスを崩しながら放たれた剣撃が脇腹を掠めたが、当然気にする余裕はない。
何とか部屋を出ると、次男の部屋に向かって走る。
背後から人を呼ぶ男の声が聞こえる。
「先に次男の方に行くべきだったな…」
そうすれば鉢合わせをすることもなかっただろう。
あとは、その次男が自室にいてくれることを祈るばかりだ。



目的の部屋の前に着いたシードはやや迷い、ドアノブに手をかけた。
先程と同じ手で行こうかと思いもしたが、どうせ既に己の侵入は知れている。
それにこれが最後だ。
まどろっこしい真似をせずとも、さっさと事を済ませて逃げる方がいい。
間を開けず扉を開けたシードは暗い中、ベッドに目を向けた。
それからぐるりと見回す。
やはり誰もいない。人の気配もない。
「…探せってか…?」
自然と表情がひきつる。
仮に、本人が戻ってくるまでここで待つのはどうだろうか。
頭の中でその可能性を考え、否定する。
侵入者の存在は、すぐに彼の耳に入るだろう。
相手は良家の息子。既に父は殺されている。
長男のような軍人ならばともかく、文官であれば逃げることを考えるのが普通だろう。
ということは、それまでに見つける必要がある。
「この時間にいそうな場所…?」
若干の焦りを感じながら、頭の中に屋敷内の地図を広げる。
部屋数が多いとはいえ、この時間内に屋敷の住人がいる場所は限られる。
勿論、厨房などといった予想外のところにいる可能性もないわけではないのだが、そんなことまで考えていてはキリがない。
「…書斎か」
幾つか可能性のありそうな部屋を思い浮かべ、その中で最も現在地から近い部屋。
確か明かりもついていたはず。
こうなれば、あとは時間と運との勝負だ。
すぐさま踵を返して書斎の方へ向かおうとし、脇腹の痛みに気付く。
裂かれたのは布一枚、とはいかなかったようだ。
だが、深くはない。出血が多いのは体を動かしたからだろう。
一度深呼吸をしてから、すぐ傍にある階段をかけ上る。
書斎はこの階段のすぐ隣にあったはず。
微かに人の怒鳴る声と足音が聞こえた。
こちらに来ているのかも知れない。

階段を登り終えたところで、回廊の向こうから此方に向かってくる数人の姿を見つけた。
急ぎ、目の前にある扉の中に入り、然程広くない室内に視線を走らせる。
が、人の姿はない。
今夜何度目かの舌打ちをしかけた瞬間、視線の先にある、隣室へ続く扉から怪訝な顔をした男が出てきた。
「何なんだ、騒々しい…」
「アルム・レバノ、だな…?」
父親似の神経質そうな目付きと、長く伸ばした黒髪。
聞いていた特徴と一致している。
念のため確認すれば、まだ年若い男がますます怪訝な表情を浮かべた。
「そうだが…貴方は?」
返事を聞くと同時に既に切れ味を失った短剣を逆手に抜き、切っ先を項へと叩きつけた。
切ることは出来ずとも、先が尖っていれば力任せに刺すことは出来る。
頸椎などは特に容易い。
男の体が一度大きく跳ね、膝から崩れ落ちた。
「あとは逃げるだけだが…」
徐々に近付いてくる足音と怒鳴り声。
己がこの書斎に入る姿は見られただろうか。
見られてないとしても今、回廊に出るわけにもいかないだろう。
となると、この部屋を出る道は一つしか残されていない。
「…骨を折ることはないだろうが…」
窓から外を覗けば、夜の黒の向こうに芝生が見える。
3階とはいえ、衝撃はある程度軽減出来るだろう。
その黒の中に、灯りを持った人間が走っているのがちらほら見える。
だが幸い、周辺に人の姿は見当たらない。
書斎の扉が開く音がする。
一度そちらへ視線を走らせたシードは、手に握ったままの短剣の柄を窓に叩きつけた。