流石に3人も刺せば、切れ味が鈍くなってきた。
赤く汚れた手をシーツで軽く拭ってから刃の血をも拭いて窓辺に立ち、微かな月の光に透かし見る。
物がいいだけあって刃零れはないが、刀身は血曇りしてしまっている。
後はレバノ家の2人。
血に汚れたシーツを絶命している男の顔にかけ、一度大きく息を吐き出した。
時間が遅いせいもあって、3人とも既に眠っていたのは幸いだった。
しかし、敷地に入ってから常に緊張状態を保っているのは流石に疲れる。
「戦場に1日いる方がよっぽど楽だな…」
戦況や周囲に気を配る必要があるとはいえ、基本的には自らに迫る殺気にさえ対応すればいい。
それに、戦場では自分の気配を消す必要がない。
何より、それが大きい。
常に気配を消すことは、慣れぬ身には堪える。
喉も渇いてきたが、当然飲み物など持っているはずもなく。
サイドボードの水差しを口にする気も起きるはずなく。
一度、大きく深呼吸をしてから、再び気配を消す。
憂鬱なのは、外から見たときにレバノ家の二人の部屋に灯りが灯っていたこと。
3人を始末している間に眠ってくれないだろうかと後回しにしたのだが、果たしてどうだろう。
回廊の気配を探りつつ、部屋を出る。
ここからだと、当主グリッドの部屋の方が近い。
すぐ側の階段を上がりながら、暗い周囲に目を向ける。
個人の屋敷とは思えぬ広さ。
回廊の幅や天井の高さなどは、ルルノイエ城と変わらないようにすら見える。
造りそのものはハイランドでは一般的な様式であり、変わったところはない。
趣味の良さを感じさせるものはないが、逆に趣味の悪さを感じさせるものもない。
シンプルといえばシンプルな造り。
代々、装飾などと言ったものには興味がないのかも知れない。
そんなことを何気なしに考えながら階段を登り終えたところで、人の気配に気付いて足を止めた。
階段と垂直に交わる回廊を誰かが歩いているらしい。
手にしているらしい灯りで、周囲の影が揺らめく。
素早く周囲を見回して隠れる場所がないことを確認すると、登ってきた階段を数段降りて闇に潜む。
歩いている人物がこちらに来れば、その時はその時だ。
片膝をついてしゃがみ、息を殺す。
壁や天井を照らす灯りが徐々に大きくなり、踊り場に広がる。
階段の方に目も向けず、直進する人物の横顔を確認したシードはきつく眉値を寄せた。
己の記憶が正しければ、あの人物はレバノ家当主のグリッド。
向かう方向からして、自室に戻るところだろうか。
「…起きてるのか…」
声には出すことなく、口内で溜め息と共に呟く。
起きているとなると少々厄介だ。
こっそり部屋に入ることなど出来ないし、そうなると騒がれる可能性も出てくる。
幾ら深夜とはいえ、騒げば人も来るだろう。
だが彼が眠るまで待つなどと悠長なことも言ってられない。
「…なるようになるか」
耳を澄ませば、微かに扉の開く音と鍵のかかる音が聞こえた。
シードはズボンのポケットに手を入れる。
指先に触れた冷たいそれを握り締め、落としてはいないことを確認する。
それから周囲を確認してゆっくり立ち上がる。
他の部屋に比べ、幾分大きな扉の前。
呼吸を整えてから軽く握った右手で扉を叩く。
「何だ」
「このような時間に申し訳ございません。どうしても、今晩のうちにお耳に入れて頂きたいことがございまして…」
「…少し待て」
一瞬の間。
扉の向こうで、荷物を片付けるかのような音が聞こえた。
そして解錠する音。
扉が開き、出てきた人物の顔を確認すると同時に左手を突きだし、口を塞いだ。
「なん…っ」
「恨むなら自分を恨めよ?」
口を塞ぐ手で男の体を室内に押し戻し、右手で後ろ手に素早く扉を閉じる。万が一、音が洩れると厄介なことになる。
漸く事態を飲み込んだらしい男が抵抗を始めるより先に短剣を抜き、腹部にそれを刺した。
「…ッ!」
悲鳴が零れぬようきつく口を塞ぎ、刃が深く刺さるよう体を寄せ。シードが手元の短剣と、それの刺さる腹部へ視線を落とした。
勢いをつける距離もなく、使えるのは右手のみ。
肥満気味の体と、少なくとも2枚は重ね着られた服。
切れ味の落ちた短い刃では致命傷に到らない。
小さく舌打ちしたところで、左手に痛みが走った。
顔を上げれば、袖の捲れた箇所に深く爪が食い込んでいる。
反射的に力が緩んだのだろう。
もがいていた男が手を振り払い、助けを呼ばんと大きく口を開き。
「むぐっ!?」
声を上げられるより早く。
シードが躊躇うことなく、その口へと自らの左手を押しつけた。
その勢いのまま床へと体を押し倒し、馬乗りになる。
上から体重をかければ、刃が深く刺さっていく。
「あとは…この悪趣味な手段を提案した奴でも恨んどけ」
悪趣味な同僚の姿が脳裏をよぎり、思わずと苦い笑みが浮かぶ。
だが男は当然それどころではない。
痛みと恐怖に目が見開かれ、暴れるままにのしかかる体が殴られ、口に押し込んだ手に歯を立てられる。
その痛みに眉を潜めつつも、体重をかけつつ短剣を抉るように押し込めば、やがて動きが緩慢になっていき、止まった。
シードの左腕を引っ掻いていた手が絨毯の上に落ちる。
短剣から手を離し、首筋に触れる。脈はない。
抵抗なのか痛みに耐えるためなのか、口を塞いでいた左手の親指と人差し指の間には歯が食い込んでいる。
その口を右手でこじ開けて左手を抜くと、親指と人差し指の間の肉が抉れるように半ばちぎれかかっていた。
手首の周囲には大量の引っかき傷。
「ったく…」
溜め息を吐きながゆっくりと立ち上がる。
そしてベッドに歩み寄るとシーツの端を僅かに裂き、一気に破った。
「こんな悪趣味なことは二度としねぇからな…」
この場にはいない同僚に悪吐き、細く引き裂いたシーツを血止め程度に左手に巻き付ける。
それから目を見開いたままの死体の元へと戻ると腹部から短剣を引き抜き、血に汚れたそれをも拭う。
そして室内をぐるりと見回す。
探し物はすぐに見付かった。
腰ほどの高さの金庫。
本格的に切れ味の落ちた白刃を腰の鞘へと戻し、そちらへ歩み寄る。
ズボンのポケットから引っ張り出すのは小さな鍵。