Länder wegen Mordes

「暗殺!?」
「シード、声が大きい」
窘められ、慌てて口を閉ざす。
自室とはいえ、万が一にも人に聞かれる可能性がないとは言い切れない。
一度ゆっくり息を吐き出してから声を抑えて、改めてその言葉を繰り返す。
「暗殺して欲しい奴がいるって…どういうことだよ?」
「言葉通りだ」
言葉と共に、机に投げ出された紙の束。
紐で冊子状に束ねられたそれを手に取る。
表紙に内容を表す記述はなく、ただ端に小さく『機密資料』とだけ書かれている。
赤いインクででかでかと『極秘』などと書かれるよりも、いっそ分かりやすい。
ぺらりと裏返して何も書かれていないことを確認してから、中を開く。
書かれた内容に眉を動かすこと一度。
それ以外、ほとんど表情を変えずに最低限の本文のみ読んだシードは、添付された資料に目を通すことなくそれを閉じた。
「何とも面白くねぇ話だな」
「面白い機密などそうそうないさ」
「そりゃそうだ。で、暗殺ってのは?レバノ家当主を?」
「と、次男のアルム氏もだ」
言われ、再び冊子を開いて確認する。そこには確かに次男の名もある。
長男の名がないのは、彼が驚くほどに真面目で堅い性格だからだろう。
レバノ家当主とその次男坊の罪状は情報漏洩。
軍内部の情報をあろうことか、同盟側に流していたらしい。
敵に対する情報漏洩は当人の処刑とお家取り潰し、漏洩内容によっては一族郎党にまで処罰が及ぶこともある。
軍事国家であればこそ、軍機漏洩の罪は重い。
だが処刑は当然公のものである。
「で、何で暗殺なんだ?」
レバノ家当主とその次男坊が処刑対象にあることは分かった。
だが、それと暗殺とが結び付かない。
「現在の戦況を鑑みて、レバノ家を廃することは得策ではない」
「…あぁ、そういうことか」
少し考え、どこか気の抜けた声を洩らした。
レバノ家は、ハイランドでも有数の上流貴族である。ジー家には及ばずとも、国に対する影響は多大な割合を占めている。
戦況が劣勢である今、レバノ家を取り潰すことは得策ではない。
親族にまで影響が及べば尚のこと。
財力軍事力共に、大きく下がってしまう。
場合によっては軍内部の士気にも関わりかねない。
「元々、現当主のグリッド氏は神経質なまでに慎重な方だ。この件に関しては自らが信頼を寄せる次男を含めた、ごく少人数しか関与させていない」
「つまり、その人間が全員口を噤んでしまえば…少なくとも、ハイランド国内ではそれをなかったことに出来るってわけか」
確かに今、レバノ家の財力や軍事力が無くなってしまうのはかなり大きな痛手と言えよう。
お家取り潰しは完全な愚策。
自らの首を絞めるようなものだ。
幸い、生真面目すぎる長男はこのことを知らされていないらしい。
ならば現当主がいなくなろうと、レバノ家が潰れることはない。彼が跡を継ぐだけの話だ。
シードが面白くなさそうに目を細める。
政治など綺麗事ばかりでないことは重々承知しているが、やはりこういった考え方は好きにはなれない。
とはいえ、シードとて今レバノ家がなくなればどのような影響があるのか、理解していないわけではない。
それは絶対に避けなければならないことだということも理解している。
クルガンは口を開かない。
シードは三度、手に持ったままの冊子へと視線を落とした。そして改めてじっくりと読みなおす。
この件に関わっている人物は、当主のグリッド・レバノ、次男のアルム・レバノ。それとは別に3人の名が挙げられている。
本当にこの5人だけなのか、それは確認しない。
クルガンのことだ。その辺りは徹底して調べ、しっかりとした確証を得ているのだろう。でなければ、こんなことを言い出すはずがない。
返事を待つように目を閉じたクルガンの顔を眺めてから、溜息交じりに天井を仰ぎ見る。

「…ってか、何で俺なんだ?暗殺だろ?」
黙り込んで考えること暫し。
ソファの背もたれに腕を引っ掛けて天井を眺めていたシードが、正面に座るクルガンへと視線を戻した。
「それなら忍の者を雇うとか…何なりもっと適した奴がいるだろ」
当然シードには暗殺の心得などは微塵もない。
そもそも、こそこそとしたことに向いていないことは、他ならぬ自分自身がよく知っている。
そして勿論、クルガンとて嫌というほどに知っているだろうこと。
問われたクルガンが腕を組んだまま、ゆっくりと目を開く。
「国内でもトップクラスの機密事項を外部の者に頼む気にはなれん。守秘的な意味でも技量的な意味でも、俺が一番信頼を置けるのがお前だったというだけのことだ」
「…言ってることは分かるが、それだけの理由かよ?」
「それだけでは何か問題があるか?」
「それならお前がやればいいんじゃねぇのか?」
自身であれば守秘に関して問題はないし、またクルガンの腕もシードに匹敵する。
条件を満たしているものというのであれば、クルガン自身も充分に当てはまっている。
何故自分に頼むのだと問えば、クルガンは手をゆっくり持ち上げた。
人差し指が立てられる。
「一つは、身軽さなど身体能力からしてお前の方が長けている」
続いて中指。
「二つ目に、レバノ家には俺の顔が知れている」
「…それは…致命的、だな」
ブラムヴァイン家も中流とはいえ、国に大きな影響力を持っている家の一つだ。遠いながら、皇家と血縁関係にもある。
長男でこそないとはいえ、社交場で会うことも珍しくはないのだろう。
万が一を考えれば、顔が知られていない人間の方がいいのは決まりきっている。
言ってしまえばシードとて何度か顔を合わせたことはある。
ただし、顔を合わせるとはいっても、同じ場にいるのを見たことがあるという程度にしか過ぎないが。
きちんと向き合い、挨拶をしたことなどはない。
そのためシード自身、彼らの顔をはっきりと覚えているわけではない。
だが逆にいえば、それは向こうも同じことであろう。
恐らく彼らがシードをシードと認識しているのは、ハイランドでは異質な赤い髪。
と、シードが目を瞬かせて己の前髪を一房指でつまむ。
「でもそれを言えば、これはどうなんだよ。髪を見られたら一発でばれるだろうが」
ある意味、軍内部では一番有名であろう髪を引っ張れば、クルガンの口が薄い笑みを浮かべる。
「お前の髪が赤で何よりだ。煤で黒くしてしまえば、そうとはまずばれん」
「…煤、ねぇ…」
煤で髪を黒く、灰で白くするのは昔からよく使われている手口だ。
シードが再び天井を仰ぎ見る。
情報漏洩を見逃せないのは当然のこと。
しかしそのことを公にしたくないのも事実。
もしかすると、もっと適した解決方法があるのかもしれないが、己の頭でそれが思い浮かばないことも事実。
がしがしと頭をかいたシードは、観念したかのようにクルガンへと顔を向けた。

ひらりと目の前に差し出された紙。
目を瞬かせ見れば、屋敷の見取り図らしいことが知れた。
「頭に叩き込め」
「…お前の方が絶対に適役だと思うんだが」
広大な屋敷の説明は、一枚の紙に収まりきらなかったらしい。
三枚に及ぶそれを受け取りながら、早くも後悔の念が沸き上がってくる。
しかし言っても後の祭。
嫌そうに表情を歪めながら、士官学校を卒業して以来の暗記に励む。
ぶつぶつ呟きながら図面を必死に頭に叩き込む様子を見ながら、クルガンがふと思い出したという風情で口を開いた。
「言い忘れていたが、決行は今晩だ」
「右手に倉庫、その正面が………あァ!?」
指でなぞりながら呟いていたシードが、聞こえてきたとんでもない言葉に、勢い良く顔を上げた。
「次に情報提供するのが明日らしくてな」
「てめぇ…態とだろ…」
「何のことだ?」
恨めしげに睨めば、しれっと首を捻られた。
その白々しさからして、忘れていたわけではないことは容易く知れる。
そもそも重要なことを忘れるような人間ではない。
「…今晩…?」
眉を寄せ、壁にかかった時計に目を向ける。
時間は朝の10時半を少し回ったところ。
準備をする時間がないわけではないのも、クルガンの計算の内なのだろう。そういう計算はクルガンの十八番だ。
「必要がなくなれば、その見取り図と文書は燃やしておけ」
一言文句を言ってやろうと正面へ視線を戻せば、ソファから立ち上がったクルガンが先に、シードの手元のそれらへ視線を落とした。
何の気なしに頷きかけたシードが、テーブルの上の冊子を手に取る。
「見取り図は分かるが、こっちもか?」
「人目に触れると不味いだろう?」
微かに混ざる、おどけるかのような声音。
嫌な可能性が脳裏に浮かぶ。
「…これ…まさか公式文書じゃないとか言わないだろうな…?」
冊子をつまみ上げ、恐る恐る問うてみる。
ひらひらと揺れるそれを見るクルガンの眉が、何とも芝居がかった仕草で持ち上げられた。
「公式文書などではないと言わなかったか?」
「言ってねぇ!」
当たってほしくない予感の的中に思わず声を荒らげる。
「まさかとは思うが、ジョウイ様には…」
ついでとばかりに、そのままもう一つ問いを投げ掛けてみる。
「言った覚えはないな」
「…クルガン…お前…」
何かを怒鳴ろうと口を開き、しかし言葉が出てこないままに口を閉ざした。
狙って肝心なことを言わないのはクルガンの常套手段である。
とはいえ、これを黙っているのはあまりではないだろうか。
公式でなく、ジョウイも知らぬとなれば、つまりは完全な独断。
独断でレバノ家当主を暗殺となれば、話は大きく変わってくる。
しかし、だからといって情報漏洩の事実を知ってしまったからには、今更断るわけにもいかない。
頬をひきつらせながらクルガンを睨み付ける。
「はめやがったな…?」
「お前が上手くやればいいだけだ」
「信じられねぇ…」
いけしゃあしゃあとした言葉を受け、呆れたように緩く首を振る。
ずきずきと痛み始めたこめかみを押さえつつ、このポジションはいつもクルガンなのだと気付く。
まさかその意趣返しというわけではないだろうが。
失敗すればハイランドの前に自分の命が終わってしまう。
最大級の溜め息を吐き出したシードは中身を真剣に頭に入れるべく、つまんだままの冊子を開いた。