The dream of the bubble

体が重い。
疲れから来るものだと分かっているが、休む暇がなければどうしようもない。
当然眠る暇もないので、自然と頭も重くなる。
とはいえ、碌に休みもとらずに働き詰めでは気も滅入るし能率も下がる一方である。
だからこそ半時間ほど時間をとって気分転換に屋上へと来たのだが、そこには既に先客がいた。
鳩尾辺りまでの高さのフェンスに凭れ掛かるようにして頬杖をついている。
勿論それは後ろ姿だが、白地に赤のラインが入った派手なサーコートに、この国では他に見かけない目立つ緋の髪。
この国の猛将と呼ばれる、己の相棒である男。
忙しいこの時期に何時からここにいたのかは知らないが、どうやら此方にはまだ気付いていないらしい男に溜息を漏らしつつ近付く。
ここの扉は随分と古く、開け閉めをする度に金属特有の軋む音を響かせる。
扉の正面のあの位置であれば充分にその音が聞こえると思うのだが、余程ぼうっとしているのか無視しているのか。
その必要もないので気配を消す事もなく、常と変わらぬ足音を立てて歩み寄るが、矢張り振り返る様子はない。
「シード」
人、一人分の距離で足を止めて名を呼ぶも返事はない。
流石に怪しんで眉を寄せつつ顔を覗き込もうとしたところで、吹く風に混ざって小さな呼吸音が運ばれてきた。
規則正しいそれは、間違いなく意識がない者のそれで。
その証拠に、少し長めの髪に隠れた顔を見遣れば、その瞼は緩く閉ざされていた。
「立ったまま寝るなど…器用な奴だ」
思わず驚嘆の声が漏れる。
そして男の隣へと並び、その瞼が開かれていたときに見ていたのであろう景色を一望する。
眼下に広がるのはこの城の庭の緑。その先に広がるのは閑散とした町。
まだ日も高いというのに、道行く者の数は数ヶ月前より格段に減っている。
町の様子が見れる、ここからの眺めが好きだと笑った緋の髪の男は…この町の様子を見て何を思ったのだろうか。
220年余りの栄華は確実に失われつつある。それを何より雄弁に知らしめるのは民。
国あっての民ではない。民があっての国である。
日を増すにつれ、反比例するかのように減りゆく民は ―――即ちこの地が国ではなくなりつつあるということ。
この国を誰よりも愛し、我が手で護ろうとする男はこの眺めに何を感じたのだろうか。
立ったままに寝るという器用な芸当をしてくれている男の顔に珍しく疲労の色が濃く窺える。
そういえば逢うのは久しぶりな気がする。共に城にいるというのに1週間ほどは顔を見ていなかったか。
前に見たときよりも少し髪は伸び…その影が落ちる頬のあたりは少し痩せた。元より精悍な顔つきが、より際立つ。
彼としても疲労がピークに達していたのだろう。
でなければいくらこの男の寝つきがいいといっても、立ったまま寝ることはないだろう。
フェンスに手をつき、再度視線を町の方へと向けかけたところで小さく唸るような声が隣から聞こえた。

ちらりと目を向ければ軽く眉根を寄せるようにしてゆっくりと瞼を持ち上げるところ。
その下から紅玉のように紅い瞳が覗く。
「ん…」
「漸く起きたか」
鼻から抜けるような寝ぼけた声に真横から声をかければ、完全な不意打ちにシードの肩が文字通り跳ね上がった。
「ク、クルガン…。いつからそこにいたんだよ…?」
恐らくは速くなっているのであろう心臓の上へと手を当てて、驚きも露わにこちらを見てくる様子はなかなか面白い。
「町を見てたのか」
いつもと同じ、感情のない声。こんな時の、この話題だというのに我ながら呆れたものだ。
案の定、とでもいうべきか。いつもは意志の強い瞳が微かに揺らいだ。
「まあ、な」
ついとその瞳がフェンスの向こうへと滑る。
その瞳に映るは、人の少ない愛すべき国。一心にそれを見つめる紅の瞳からは、彼が何を感じているかは知れない。
「この戦いに勝ったら…元通りに戻るだろうかな…」
問いかけというにはあまりに小さく、力のない呟き。答えを求めているのではないことは明白で、だからこそ口を噤む。
それは意味のない言葉。この国は既に時代に見放されたのだ。未来に残る事を拒まれた国。
自分たちの手で民を逃がし…兵をも逃がし。一人でも多くの命が未来に残れるように。
「この国が亡くなるなんて…嘘だよな…」
小さな、祈りにも似た言葉。
「こっちが夢で、あれが現実ならいいのに…」
―――余程に…幸せな夢を見ていたらしい。それは在りし日の姿か。
出来ることなら、その夢を現実にしてやりたいと思う。
そのような、絵空事がありえるはずもないと分かっていても。
「シード」
ぼんやりと、内心を隠すかのように町を見下ろす男の名を呼べば、少しばかり億劫そうに顔が向けられる。
その顎を取り、口唇を重ねた。
一瞬見開かれた瞳はしかし直ぐに伏せられ、縋るかのように荒々しく、それでいて切なげ唇が押し付けられる。
この男の、恐らくは唯一であろうその願いを叶えてやりたい。たった一つの願いすら叶えてやれない。
その歯痒さとも苛立ちとも知れぬ悔しさを全て飲み込み、激情を殺すかのように自らも目を閉じた。

シードは勿論国が亡くなることに一番憤りを感じ。
クルガンは国が云以上にシードが悲しみ、それを救えない自分自身に。