schwanen

あと数合も斬り結べば勝てる自信はあった。
それを遮ったのは一人の男の一声。
「マイクロトフ、撤退だ。それ以上やりたければ私が相手になりましょう、シード将軍」
追い詰めかけていた青い元マチルダ騎士団長を助けたのは、常に彼の傍らにあるという、己と同じ戦いの色を纏った男。
互いに体力を消耗し、手傷を負った身であったからこそ勝てる自信はあったのだが、その相手が今まで体力を温存していた赤騎士となれば話は別で。
歯噛みをしながらも、その場は剣を引くしか手段はなかった。

いつものように戦いの後の戦場を歩く。
以前に比べれば随分とハイランドの兵の骸が増えてきているように思える。
それだけ同盟軍が大きくなりつつあるということか。
苛立たしげに舌を打ち、足元の肉の塊を蹴り飛ばす。
寄せ集めに過ぎない、あんな連中に負けるわけにはいかないのだ。
突然と現れた少年に率いられる、寄せ集めの軍にハイランドの地を奪われるわけにはいかない。
尤もそれは同盟軍に限らず、どこの国のどの軍相手でもいえることなのではあるが。
「―――ッ」
ギリ…、と口唇を噛み締めたシードの耳が僅かな物音を捉えた。風が立てる音ではない、金属のぶつかり合う音。
神経を研ぎ澄ませば、微かに人の気配らしきものを感じる。
死にかけた生き物などではない、獣が獲物を狙うときのそれ。
さては同盟側の生き残りか。
瞬間に埋めれる距離ではない。
充分に間合いがあるのを感覚のみで敏感に感じ取ったシードは口許に笑みを浮かべ、ゆっくりと背後を振り返った。

「…これはまた珍しいお客さんだな」
振り向いた先に立つ人物に一度は目を疑い、しかし表情は変えぬままに言葉を発する。
そこに立つのは赤。血と炎と、戦争の象徴である―――俺と同じ色を身に纏う男。
「俺に何か用か」
相手の手は、こともあろうに腰に下げられた細身の剣にかけられてはいない。
戦場で常に敵対する相手を目の前に、一体何をしようというのだろうか。
はしばみ色の頭から革の靴の先までを余すことなく、不躾なまでに眺めて観察する。
口許には嘲りを、しかし殊更軽い口調で問いかけながら歩いて間合いを詰める。
駆け引きなどを考えることもなく、手を伸ばせば触れることが叶う距離まで近寄ろうとも、動じる様子もなければ手を柄にかけるでもない。
慎重さとは無縁なまでに近寄る俺も俺だが、眉一つ動かさないこいつもこいつだ。
ある意味思いがけない反応に心中ぼやけば、女のように整った顔の造作が艶やかな笑みを象った。
「このようにして話すのは初めてですね」
戦場で凛と響くものからは程遠く、甘さすら感じさせる柔らかな声に、気がつけば俺は男のほうへと手を伸ばしていた。

別に俺はナルシストってわけじゃないが、はっきり言わせてもらえれば顔の造作はいいと確信している。
それは女受けをする一方で、そちらの『高尚』なご趣味をお持ちの男にも受けるらしいのだが。
体の線は細いし、背も高くはないが筋肉はしっかりとついていて、それなりにがっしりした体格だと少なくとも自分では思っている。
似ているようでありながら、今眼前に立つ男は何かが違う。
タイプは随分と違うが、確かに女受けはよさそうだし男受けもよさそうだ。
体の線は俺と同じように細いし、背は…少しばかり俺より高いものの、とりわけ指摘するほどでもない。
服の上からでは分からないがこの歳で軍団長を務めたほどの男だ、筋肉もきちんとついているはず。
「このようにして話すのは初めてですね」
俺と似ていながら、明らかに違う。
気障な台詞を数え切れぬほど吐いたのであろう、形のいい口唇から零れた声を聞いた途端、俺とは異なるものの正体に気付いた。
男のほうへと伸びた手は、俺の意思とは無関係にその胸倉を掴み上げていた。

「それはつまり、俺と話をしにきたってことか?」
つきかけていた青騎士との勝負を中断させたのは他ならぬこの男だった。
戦いに水を差され、戦争の結果としては痛みわけ。
足元には多くの自国の兵が、俺の部下が動かぬ肉塊となって転がっていて。
さぞかし俺は残忍な笑みを浮かべていたことであろう。
男は苦しがる風もなくその髪と同じ、はしばみ色の瞳でまっすぐに見返してきやがった。
「一つ目の用件は。少しばかり貴方に興味があったものですから」
「興味?」
どういうことだと。目線のみで続きを促しながらも、俺は服を掴む力を緩めるようなことはしない。
男は婉然たる微笑を刻む。
「一軍を預かる身とは思えぬほど、まっすぐで熱くなりやすい様があまりに私の相棒と似ていましたので」
馬鹿にされているのか褒められているのか、その表情と言葉からは判別しがたい。
が、どちらにしても嬉しくないことは確かだ。
「褒められてるにしても嬉しくねぇな」
一刻ほど前に剣を合わせていた青騎士を思い出す。愚鈍なまでに実直であろうことが一目で知れる風采。
思った事をそのままはっきりと口にして小さく鼻を鳴らせば柔らかな笑みが返される。
「そう仰らないでください。あれでも私にとっては大切な相棒なんですから」
拉致があかない。そんなことを話に来たのではないだろう。
「それで、二つ目の用件は」
いっそこのまま剣を抜こうかとも思うが、それは不利だと思いとどまる。余裕綽々のこいつに比べて俺は今―――。

ざわりと。
全身の細胞がざわめく不快な感覚に、それを頭で把握するよりも早く相手から手を離して突き飛ばしながら、俺自身大きく後ろへと跳んだ。
同時に今まで俺の立っていた箇所を大きな炎が呑み込んだ。
引くのが僅かに遅れた指先に強烈なまでの熱を覚え、髪の数本が嫌な臭いを辺りに振り撒く。
「矢張り…同じ紋章を持つものが相手では不意をつくのも難しいですか」
俺がこいつに近づく前から、既にいつでも炎を放てるよう呪文を唱えてあったのであろう。
剣に手をかけてなかったのはそのためか。
悪びれることなく言ってのける男が、さらりとクセのない薄いはしばみの毛を揺らして此方を見てくる。
「二つ目の用件はそうですね、トフに怪我を負わせて下さった仕返しとでも言いましょうか」
先までの柔らかな空気が消え、一気に緊張感が周囲を支配する。俺にはこのようが余程心地良い。
が、問題がないわけではない。
「どうやらトフにつけられたその左肩の傷、まだ手当てをしていないようですね」
鞘より抜き放たれた細い切っ先が、血に濡れる俺の左肩へと向けられる。
手当てもせずに戦場をうろつくのはまずかったか。
なんて愁傷な言葉が俺の口から出るとでも?
嘲り笑ってやりたいのを押さえ、左肩が持つ痛みと熱をも無視して、俺は代わりに無言剣を右手に握った。

力ではなく、細やかな動きを得意とする奴は好きじゃない。
俺の相棒なんかもこのタイプだが、どうにも軽くあしらわれているようで腹が立つ。
力任せに打ち込もうにも、左手が使えないんじゃかえって隙をつかれることは分かりきっていて。
一般兵相手なら片手であしらうのもそう難しいことじゃないが、流石に騎士団長ともなるとレベルが違う。
諦めたり悲観するのは俺の趣味でもなければガラでもねぇが、既に押され始めていることは紛れもない事実であり。
時折掠めた切っ先が赤い髪を宙に散らす。
にも拘らず、絶対に生きて帰れるという根拠のない自信があったり、剣を合わす楽しさににやけてきちまってたり。
「…所詮てめぇも戦場で生きる人間、ってわけか」
「ふっ…そのようですね」
女みたいに小奇麗な顔に浮かぶ笑みはそこらのゴロツキにありがちな、相手を甚振ることを愉しむものとは程遠い―――まさに俺がにやけるのと同じ、純粋に強い相手と命のやり取りを愉しんでのもの。
スリル満点のこの愉しさだけは、仕事と割り切っている奴には絶対に感じることが出来ない…。

ガキッと鈍い音を立てて歯が噛み合う。片手と両手じゃ、いくら俺が馬鹿力だっても勝負にゃならない。
鍔をずらし、鎬を滑らせて逃れようとするも、相変らずの細やかな動きがそれを許さない。
柄を握る腕に肩を押し付けるようにして体重をかければ、かつてないほどに互いの距離が縮まる。
「いい加減、恨みは晴れたんじゃねぇの…?」
戦争には生き残って、なのにその後の喧嘩で死んだんじゃ笑い話にもなりやしない。
間近よりはしばみの瞳を見つめて揶揄うように問いかける。
「晴れれば、大人しく剣を引き…、っ!?」
つまりはまだ晴れてないってことか。かといって、みすみす相手にやられてやるつもりもない。
もし奴が引けばみっともなく転ぶのを承知の上で俺は全体重をかけ、首を伸ばして一気に相手との距離をゼロにした。
反射的にであろう、息を呑んだ赤が剣を扱う呼吸を乱しながらも俺との距離を空けるように、噛み付く刃を自ら翻した。
踏鞴を踏みつつも、何とかみっともない姿だけは避けることが出来た俺はにやりと笑ってやる。

「まさか貴方がそのような手を使うとは思いませんでしたよ…」
俺の動きを牽制するように右手に持った剣を構えつつ、左手で自らの口唇を拭う。
「生憎、俺もこんなところで殺られるつもりはなくてな」
元より優男のため大した抵抗もない。
相手から目を離さぬまま軽く唇を舐める。
「―――分かりました。元よりトフへの怪我に対する仕返し、というのも方便ですしね」
暫し観察されるがままになっていた俺は、赤が大人しく剣を収めつつ呟かれた言葉に片眉を上げる。
「そうなのか?」
僅か微苦笑を零して、いまだ俺が剣を持っているにも拘らずさっさと踵が返される。
「貴方とトフとの戦いを見て、私も一つ手合わせを願いたかっただけです」
「…てめぇも似たり寄ったりじゃねぇか」
結局のところ、一軍を率いるものの大半はこんなものなのかも知れない。
初めと同じ、甘さを覚える響きを残して悠々と去っていく男を見送りながら、漸くのように剣を戻す。
途端に左肩が痛覚を思い出した。
「こりゃ…さっさと俺も戻らねぇとな」
あまりよろしくない状態だと、そこを抑えて駐屯地のほうへと足を向け。

ふと歩みを止めたシードは、もう一人の赤が去った方を振り返って軽く口唇に触れた。

シードとカミューも実は結構いいコンビだと思う。