臨戦

彼方を臨む。
前方に見えるのは黒く人が群がる大地。何万という人の群れ。
銀の輝きの合間合間に立ち上るのは風にはためく旗。国の象徴。
刻一刻と近付いてくる黒い地上の波に、戦を告げる炎の匂いを風が運ぶ。
触発されるように感情が高まっていく。

「シード、準備はいいか」

背後から馬の歩を進めてきたクルガンが、正面に迫りつある敵軍を真っ直ぐに見据える相棒へと声をかけた。
鬨の声が上がるまであと半刻ほどだろうか。

「いいに決まってんだろうが。…久々の戦だ」

そっけなく応えたシードが、昂ぶる感情に口の端を持ち上げる。
耳に届くは金属のぶつかる音。目に映るは敵対する兵。鼻に嗅ぐは燻る炎。
舌に味するは昂揚の酒精。そして肌に感じるは刺し貫く殺気。
全ての器官が久方ぶりの戦を認める。間もなく幕を上げる殺し合いの舞台に愉悦を思い出させる。

「相変らず楽しそうだな」

呆れたような、それでいてどこかに笑いを含んでも聞こえる声が隣から響く。

「思う存分剣を振れる。愉しくないわけがないだろうが」

口の端を持ち上げ、そこに薄い笑みを浮かべたままシードが目を眇めた。
視線の先には徐々に近付きつつある大軍。自然と場の緊張感が高まっていく。
その張り詰めた空気が心地良くすらある。
ゆっくりと背後から馬の歩を進め、シードの隣へと並んだクルガンが倣うように、その色素の薄い瞳を眼前へと向ける。

「策はちゃんと覚えているか」
「はン、まだそこまで呆けちゃいねぇよ」

感情のない声が単調に確認すれば、鼻で笑った声が当然のように返す。
右手に手綱を握ったまま、シードが左の腰に佩く愛剣の柄を軽く撫でた。
カチャ、と硬質な音が張り詰めた空気に響く。

「…圧勝するぜ」

それ以外は許さないと。そう言わんばかりに呟いてから空を仰ぐ。
雪はほとんど溶けたとはいえ、まだ寒々しく重苦しい冬の空に白い息を吐き出す。
早くも暖かくなっていく体に対して、鉄に包まれた指先が冷たい。
温まることがないことを知りながらも、無意識のうちに拳を握り締める。
背後から此方へと駆け寄る足音と、甲冑のぶつかる音が響いた。
それらが止まり、兵が告げるは準備の完了。号令があればいつでも戦を始められると。
続くは相棒が告げる了承と、兵を下がらせる言葉。
来たときと同じように、足音と金属音を立てながら兵が遠ざかっていく。

「…どうする?」

どこか揶揄じみた問いかけ。返す言葉は考えるまでもない。

「…行くぜ。先手必勝だ」

きっぱりと断言したシードは、手綱を引いて方向を変える。
少し離れた位置に広がる、何万という人の群れ。
銀の輝きの合間合間に立ち上るのは風にはためく旗。国の象徴。
青と白。そこに描かれる、猛々しい白狼と戦いを示唆する2本の刃。
軍旗を仰いだシードは、背後で密かに笑いを噛み殺しつつ同じく踵を返す気配を感じながら、高らかに鬨の声を上げるべく旗の許へと進んでいく。

題名は「戦に臨む」と漢文調で読んでいただけると幸い。