深く昏い、人のそれより生々しい赤。
忌まわしいまでのそれに、しかし人は強烈に魅せられる。
相棒の副官、ジュリアンに室内へと迎え入れられたクルガンは、仕事をしていないどころか、机に背を向けて窓の方を見ているシードの姿に思わず溜め息をついた。
「何をやってるんだ、あいつは…」
尋ね掛けるとも独り言とも取れる言葉にジュリアンが苦笑を漏らす。
「実は先ほどルカ様に呼ばれまして…」
「皇子に?」
「えぇ。それで何でも変わったものを頂いたようで」
それに気を取られているわけか。シードもシードだが皇子も皇子だ。
口に出しかけたその言葉を辛うじて飲み込み、シードの方へと足を向かわせる。
扉をノックした時に返事をしたくせに一度もこちらを見ようとしない。一体何を貰ったのか。
「シード」
執務机を回り込み、隣に立って名を呼び掛ければ、漸く顔がこちらへ向けられた。
その瞳には興味の色が浮かんでいる。
「あのさ、ピアスの穴ってどうやって開けんの?」
「…ピアス?」
急き込んで問い掛けられた内容に、一呼吸の間をおいてからクルガンが問い返した。
ピアスとは予想外だった。
「ああ、これなんだけどな」
差し出された掌の上で一つのピアスが転がった。シンプルな造りで、赤い石が一つついただけのものだ。
と、その石が普通のルビーなどでないことに気付き、そっとシードの手の上より摘み取る。
「ピジョン・ブラッドか…?」
「って言うらしいな」
こくりと頷くのを横目で見ながら、クルガンはその石をつぶさに見つめる。
ルビーなどとは違う、もっと深みのある昏く、血の色に近い赤。随分と見事な色だ。
それこそシードが魅入ってしまうのにも納得してしまいほどに美しい血の色。
「お前が装飾品の類を好むとは初めて知ったな」
主君であるその人より、酒の相手に呼ばれることは少なくない。
元より酒好きで話す事も嫌いで無く、また狂皇子と名高いルカを恐れることもないシードは、誘いを受ければほぼ確実に御相伴にあずかる。
この日も誘いを受け、酒を飲み交わしている最中のことだった。
普段は人の目に触れぬよう、服の下へと潜らせているチェーンが何らかの弾みでか、首元から覗いていた。
「えぇ、この程度の邪魔にならない範囲でなら」
これでいてシードは銀細工などの類を好む。
ただ職が職であれば邪魔になるのは仕方のないことであり、辛うじてこの程度ならと妥協した結果がこの首のチェーンである。
「ピアスなども邪魔にはならんだろう」
対してルカは装飾品の類を好まない。
「剣は斬れれば銘は問わない」とまで言い切る実利主義者であれば、装飾品などは無駄以外の何者でもないのだろう。
だからこそシードは首のそれを服の下に隠し、目に触れるものは―――無論邪魔だという理由もあるが―――身につけずにいたのだ。
突然の主君の言葉を怪訝に思うのも無理はない。
「そりゃ邪魔にはなりませんが…」
ただ、ルカが嫌うだろうとつけなかっただけの話だ
。
「ならば近く、面白いものをやろう。丁度変わったものが手に入ったところだ」
「で、それがこれだったというわけか」
一通り簡単な説明を聞いてから、クルガンは再度手の中のそれへと視線を落とした。
「皇子がいらないものだからって、一番いいとこをピアスにしてくれたらしくって…」
そんなのをもらうわけにはいかないが、だからといってまさか拒否するわけにもいかない。
暫し悩んだものの、機嫌を損なわれても困るのでもらってきたのだ。
しかしよく考えまでもなくピアスホールはなし、どうしたものやら分からないまま光に透かして眺めているところへクルガンが来たというわけだ。
「すっげぇ綺麗な色だよな。ただ俺の髪も赤だし隠れんじゃないかとも思うんだが…」
紅玉の瞳がやや不安げに細められる。
「いや…大丈夫だろう。そう簡単に負けるような色ではないからな」
すっと手を伸ばして髪を掻き分け、耳の横へと宛てがってみる。
たしかにどちらも深みのある同系の色ではあるが、やはり小さくともそれだけが異質。
「そんならいいや。で、穴は?」
「軍医殿に空けてもらうか…自分でやるか」
「自分で?」
思いもよらぬことだったのか、目を瞬かせてシードが問い返す。
「火であぶって消毒した針で刺せばいい」
手っ取り早く済ませるには最も適当な手段だろう。あらかじめ耳を冷水で冷やしておけばまず問題はないはずだ。
「何ならやってやろうか?」
僅か頬が引きつったのを見やって、失笑を噛み殺しつつ問い掛ける。
「た、頼む。自分でってのはちょっと…」
こくりと頷くシードを見て、今まで脇で黙っていたジュリアンが小さく溜め息を漏らした。
戦場にて無茶をするが故にシードはよく怪我をする。
肉を斬らせて骨を断つとの言葉を実践することも少なくない。
いくら諫めても聞き入れもしない。
無謀といえば無謀とだが、軍人らしいといえば軍人らしい。
怪我することを恐れず、自らの血にまみれようと比較的平然としているような奴だ。
痛覚が鈍い訳でもなかろうが、自ら傷を負う事を躊躇わない。
そんな人間がたかだか細い針の一本に怯えるというのも妙な話ではある。
注射が嫌いなタイプだなと思ううちに、火で熱した上に消毒を施した針がジュリアンより手渡された。
「他に何か必要なものは?」
「そうだな。冷水で冷やした清潔なタオルを用意してくれるか」
「わかりました」
当然のことながらピアスホールを空けるのは初めてである。
だが元より痛みには慣れている相手だ。
多少の失敗は気にせず、とりあえずは膿んだりせぬよう気を遣えばいいだろう。
「コートだけ一応脱いでおけ」
内心で考えている事などおくびにも出さずに淡々とソファに座るシードへと指示する。
「そんなに血が出るのか?」
「念のためだ。お前のコートは白いからな」
まるで注射嫌いの子どもが、それを前に必死で強がっているようだ。
そこまで嫌ならやめてもよさそうなものだが、中断などという文字がこいつの頭に現在あるはずがないことは一目で分かる。
「クルガン将軍」
「あぁ、すまない」
のろのろとコートを脱ぐシードの前にしゃがみ込み、よく冷えたタオルを耳に宛がおうとして初めて気付いた。
「―――もう一つはどこにあるんだ?」
いまだにクルガンは一つしか目にしていない。本来ピアスというものは左右2つで一組のはずだ。
「いや、左耳だけでいいって皇子に言ったからな、それだけだ」
何故左耳だけなのかが気にならないでもない。片耳だけと言う妙な遠慮心の結果なのか、他に理由があるのか。
突発的なシードのことだ。どうせ大した意味もないだろうが。
手にしていたピアスを隣に立つジュリアンへと手渡し、少し長めの髪を耳にかけてやってから濡れたタオルを当てる。
その冷たさからか、シードが首を竦める。
「そういえば以前耳にした話なのだが」
一体どこで耳にしたのだろう。内容が内容だけに、食堂のような場所だとは思うが。
「素人が下手にすれば、裏の薄皮がなかなか貫通しないらしくてな」
真面目な顔で言ってやれば、シードの顔が心持ち蒼褪める。
出血多量以外でこいつのこんな顔色は二度と見れないかもしれない。
「あまりシード様を揶揄わないでやって下さい」
呆れたふうなジュリアンの声へ被せるように、押し殺した忍び笑いが聞こえた。
やや俯き気味に肩を震わせているのは当然クルガンである。
一瞬理解出来ずに目を瞬かせ、漸く揶揄われたと知ったシードが眼前で笑う相棒を睨み付ける。
「てめぇ…今の嘘かよっ?本気にしたじゃねぇか!」
「嘘ではない、そう聞いたのは事実だ…揶揄っただけで。まあ、安心しろ。一応医学は修めている。そんなヘマはせん」
「…ピアスを開けた経験があるのかよ…?」
「あるわけなかろう。そんな軍医学とは無縁の事。…そう怯えずともいい」
「怯えてなんかいるかっ!」
未だ喉で笑うクルガンに怒鳴りつければ、揶揄の色も露わな眼差しが向けられた。
「そうか、ならもういいな」
「も、もういいのか?」
「感覚がないだろう?」
言われてみれば、確かに左耳の感覚はほとんどない。
シードが小さく頷く。
それを見たクルガンは耳にあてがっていたタオルを離して、代わりに針の先端をそっと当てた。
「力を抜け。なに、いつもお前がする怪我に比べれば些細なことだ」
再度の揶揄いの言葉。
言われて初めて体に力が入り、息をも殺していた事に気付いたシードは憮然とした態度で肩から力を抜いて大きく息を吐き出した。
そのタイミングを見計らって、クルガンは躊躇うことなく柔らかな耳朶に針を貫通させた。
「痛みなどほとんどないだろう?」
「…ぶつって…穴の開く音が…」
僅か顔が歪んでいるのはそのためらしい。
苦笑を浮かべてそっと針を引き抜き、少しばかりの血をタオルで押さえるようにして拭い。
こちらもきちんと金具を消毒したピアスをジュリアンの手より受け取って、開けたばかりの穴へとはめてやった。
その上からもう一度、耳全体を冷えたタオルで包み込む。
「これで終わりだ。が、暫くは触るなよ?髪も後ろでまとめた方がいい」
後半の言葉を聞いて、すかさずジュリアンが綾紐を取って来る。
そして器用な手つきで素早く一つに纏めてしまった。
シードには勿体ないくらいに出来た副官だ。いや、シードだからこそ出来た副官が必要なのか。
そっとタオルを外せば、その下から覗くのは深い血の色。
髪をくくっているせいもあるのだろうが、かなり目立つ。
これではまるで皇子の所有の証のようだと人知れず渋面を作るクルガンの横で、綾紐と共に持って来た鏡をジュリアンが己の上官へと差し出した。
「うわ、なんか勿体ないくらい綺麗だな」
随分と気に入ったらしい。触りたそうにうずうずとしながら、鏡に映る赤い石を眺めている。
「ありがとな、クルガン。早速皇子に見せて来る」
言うなり立ち上がったシードは、コートを着もしないままに言葉通り、さっさと部屋を出て行った。
「―――お疲れ様でした、クルガン将軍」
一体その労りの言葉にはどのような意味があったのか。
ルカにまんまと一杯食わされたクルガンの胸に、優秀な副官のセリフがずっしりとのしかかった。
ルカシーとクルシーが同時に両立。奇妙な三角関係。