職業軍人である限り、戦争はなくてはならないもの。
平和になってしまえば、それは生業を失うことになる。
自分には、剣の腕くらいしか誇れることはないのだから。
軍人という職業に誇りを持っているし、命のやり取りそのものも決して嫌いではない。
戦場でのそれはまだいい。
進んで剣を持った人間や、何らかの覚悟を持っている人間ばかりだ。
無論そうでない者も中にはいるが、それでも戦場であれば仕方のないこと。
だから戦場でのそれは、いい。
だが、町や村を落とすことはどうしても好きにはなれない。
そこにいるのは剣を持った兵ではない。
家を守り、慎ましやかに生きている女子どもだ。
そんな彼らを、戦争という名の元に蹂躙することが許されるのだろうか。
町のほうから黒い煙が上がるのが見える。落とすことが出来たのだろう。
目の前の兵を斬り捨てながら、町のほうへと顔を向ける。
進軍にあたり、どうしても落とす必要のあった町。
気を引き締めるように大きく息を吐き出してから、自身もそちらへと向かう。
人の欲望を抑制するのは非常に困難なこと。
前もって何度も言ってあろうと、全員がそれを遵守出来るかと言えば、それは不可能に近く。
まして間に戦いが入るのだから、その興奮冷めやらぬのも理解は出来るのだが。
町に足を踏み入れ、シードはぐるりと周囲の様子を見回した。
家々から立ち上る黒い煙。焼け崩れる建物。
その中を逃げ惑う女子ども、老人たち。そしてそれを追う兵の姿。
見慣れた光景だ。
隊長格の部下がその様子に声を張り上げているが、悲鳴や炎の音の中では耳に届かないらしい。
或いは己の行為に夢中になりすぎて聞こえていないのか。
足元を見れば、荷物を持って逃げ出そうとしていた老人が切り伏せられてた。
視界の端で、幼い子を抱いた若い女が兵に引きずり倒された。
必死に抵抗し、子を必死に抱きしめながら悲鳴を上げる女。
その上に馬乗りになり、女の服に手をかける兵士。
決して珍しいことではない。
無言のままそちらに歩み寄ったシードは、手にしたままの剣で男の背から胸を貫いた。
兵の体から己の目の前へ突然飛び出してきた血塗れた剣に、組み伏せられていた女が甲高い声を上げた。
胸を貫いたままの剣を振って、兵の体を女の上からどかせる。
どさりと土の上に倒れこんだ男から剣を引き抜く。
「このあと西へ進軍する。南の方へ逃げればいい」
体を震わせながらも、子どもを守ろうときつく抱きしめる女へと声をかけて剣を鞘へ収める。
肺を貫かれた兵は、もう生きてはないだろう。
その死体を一瞥してから改めて周囲を見回す。
転がるように女が逃げていく先から、見知った男が走ってきた。
「ジュリアン」
走ってきた男が足元の兵へ視線を落としたが、名を呼べばすぐに顔を上げた。
「全兵に徹底して伝えろ。許すのは略奪のみ。女子ども老人には一切手を出すな」
そして一度言葉を切り、貫かれた胸から血を零す兵を見下ろす。
「命令無視には厳罰を与える」
「畏まりました」
足元の兵の死因を理解したらしいジュリアンが敬礼し、素早く身を翻した。
煙る炎と血の混ざり合った臭いが鼻を突く。
戦場では気にならぬそれらも、町中では凄惨さをより引き立てるばかりで。
思わず眉を顰めてから、人知れず微かな溜め息を落とした。
略奪すら禁止してしまいたいのは事実だが、なかなかそうもいかないことは分かっている。
命を張って戦場に出ても、一般兵が受け取る額はごく僅か。
しかしシード自身が何千人もいる部下全員に褒美を与えられるわけもない。
略奪姦淫は彼らにとっては褒美のようなもの。
幾ら国のために戦っていようと、僅かな給金だけで命を懸けられるほど、誰もが気高く生きられるわけではない。
目の前には敗者の金品。
長い禁欲生活を強いられ、目の前には逃げ惑う女。
これくらいの褒美は許されるはずだと揺れる兵を、責めることはシードには出来ない。
略奪姦淫は、兵への褒美としては日常的なこと。
それら全てを抑えることが出来ぬのなら、せめて略奪だけに留めておきたい。
また一人、破れた服を胸の前で合わせながら女が町から逃げていく。
否、女とはまだ呼び難い。漸く胸が膨らみ始めた程度の少女だ。
どうやら無事に逃れられたらしい様子に安堵し、町の大通りをゆっくり歩く。
煙の量から想像していたほど、火の手があがってはいなかった。
ただどの家もドアは壊れ、中は荒れてていた。
金目のものはほとんど残っていない。
住人のほとんどは身一つで逃げ出しているだろうから、それらを為したのは己の部下ということになる。
やはり気分の良くないことだが、この程度ならば目を瞑るべきだろう。
「…」
ふと足先を変え、細い脇道へ向かう。
微かに聞こえる荒い呼吸と、布が擦れるような音が大きくなる。
更に奥に進むと兵の背が視界に飛び込んできた。
その向こうの暗がりには女の白い肌。
一定の感覚で揺れる二つの体。荒々しい呼吸音。
何をしているのかなど、火を見るよりも明らかで。
だがゼロに近いとはいえ、同意の上という可能性もないではない。
そのままゆっくり背後から歩み寄る。
「姦淫は禁ずると通達したはずだが?」
驚いたように振り返った男の向こうに、真っ赤に泣き腫らした少女の顔。
両手は細く裂いた布で縛られ、口にも布が詰め込まれている。
「いやっ、あのこれは…!」
剣を抜き、何やら言い訳をしようとする男の胸を先と同じように貫く。
これが最も、組み敷かれている人物に血のかからない方法なのだ。
びくんと大きく体が跳ね、その目から生気が失われる。
刺し貫いた剣はそのままに、兵の体を女の体から引き剥がす。
「…すまなかったな」
怯えたままの少女の傍に膝をつき、口を塞ぐ布を出してやり。
両手を縛る布をも解いてやってからざっと体に視線を走らせた。
特に目立った外傷はない。
ただ股間から流れ出る血液だけが酷く痛々しい。
服は既に形を成しておらず。
「…少し待ってろ」
痛みとショックで立ち上がることすら出来ないらしい少女に極力優しく声をかけてから立ち上がった。
向かうのは、既に荒らされている手近な家。
持ち去られているのは金目のものばかりで、それ以外のものはほとんど残っている。
開け放たれた棚から手頃なワンピースとタオルを拝借。
すぐに少女の元へと戻る。
呆然としたままの少女の股間をタオルで簡単に拭い、やや大きめのワンピースを着せる。
何とかしてやりたいが、これ以上できることはない。
あとは少女が無事に正気に戻り、元気になってくれるのを祈るしかない。
兵の胸に刺したままの剣を抜いて、鞘へと戻す。
一度少女を見やりながらも、大通りの方へとシードは戻っていった。
「あ、シード様!」
通りに戻るなり駆け寄ってきたのは副官であるジュリアン。
「制圧完了しました。兵を引き上げようと思うのですが…」
制圧といっても城があるわけでもない、普通の町だ。あっという間に済んだらしい。
じっと指示を待つ姿を見やってから、先ほどの少女の姿を思い出す。
「…お前が信頼出来る者を10人ほど残して見回りをさせろ。残りは速やかに本陣へ戻らせる」
「はっ」
敬礼したジュリアンが、指示を放つべく伝令兵のほうへと走っていく。
ジュリアンが信頼出来る者ならば、きちんと後の処理は行ってくれるだろう。
あの少女も何らかの形で保護されるはず。
「…人を使うってのは面倒だな…」
正しいことばかり行えばいいというわけではない。
シード自身も含め、誰もが何もかも正しく生きることなど出来ない。
厳しすぎず、緩めすぎず。
兵のことを考え、自分の考えとの妥協点を探り。
厄介だと口の中で零したシードは、白い息を吐き出しながら曇った空を見上げた。
自分の理想と、兵の不満軽減と、侵略された側の被害と。
どのバランスで良しとするかは、難しいところ。