ごろりと寝返りを打つと、視界に裸の背中が飛び込んでくる。
思っていたよりはがっしりしていたものの、それでも筋肉の付きの薄い背中。
自衛程度に剣は使えると言っていたが、自分などからすれば使えぬ者と差があるようには見えない。
純粋な文官であれば、仕方のないことなのだろうが。
束ねた長い黒髪が背へと流れ、男がこちらを振り返った。
「この後はどうされるのです?」
「あー…何か帰るのも面倒だし、このままここに泊まろうかなと」
どうせ明日は非番だ。朝早く起きて城に戻る必要もない。
幾分の肌寒さを感じてシーツに潜り込むと、男がベッドの端に腰を下ろした。
傷一つない、白く薄い胸板。鍛えられた形跡もない、細い腕。
毎日のように見る軍人のものでもなく、時折見る女のものとも違う。
仕官学校時代にはこんな体格の者も多くいたように思う。
引き締まってはいるものの、決して鍛えられてはいない腹筋を何となく指でなぞれば、男が僅かに目を細めた。
果たしてくすぐったがっているのか、怪訝に思っているのかは怪しいところだ。
どうしてこういうタイプの奴は、感情が顔に表れないのか。
「…あのさぁ…何でお前はここへ来るわけ?」
何の気なしに問えば、頭上から大きな溜め息が落ちてきた。
指で腹を突きながら視線だけを持ち上げれば、呆れたと言わんばかりの漆黒の目とぶつかった。
「それを、あなたは言わせるのですか」
男が背を丸めると、長い髪が肩にかかる。
「あなたに会いたいから以外の理由があるとでも?」
耳元で囁かれる低く甘い声に、ぞくりと下腹部が疼くのを感じる。
年甲斐のない己のその反応に苦笑しながら、腹をなぞっていた手で男の頬を撫でる。
体と同じ、無駄な肉のない頬。
「生憎、それを素直に信じれるほど俺も青くはなくてね」
確かに軍においては、まだまだ経験浅い若造なのだろうが。
それでも、素直にその言葉を鵜呑みに出来るほどには若くもない。
「ましてその甘い言葉を吐くのが、奇策の得意な軍師様ときたもんだ」
緩く口の端を持ち上げてちくりと棘を刺せば、男も余裕そのものの笑みを返してくる。
「それは残念。私は嘘を言った記憶などないのですがね?」
「ほざいてろ」
くつくつと肩を揺らして笑えば、そっと唇が重ねられた。
一瞬触れ合っただけのそれは、先ほどまでの行為の名残を感じさせるかのように、思わず男の戯言を信じてみたくなるほどに熱く。
まずいなぁ、という自覚も勿論あるのだが。
それすらも、どうでもいいやと思考を放棄したくなるほどに優しくて。
「…こんなのがばれたら、完全に処刑ものなんだがな…」
自制するように小さく呟けば、男が笑みを浮かべたまま微かに首を傾ける。
「それは私も似たようなものですがね」
「…何で命懸けでこんなことしてんだか…」
互いに、自身の命が懸かっているのだ。
命を懸けてまで、こうして逢瀬を重ねる理由がいまだに分からない。
この男が何故そこまでして逢いに来るのかも、己が何故ここまでして逢いに来るのかも。
段々とそれが当然のようになってきているのが、自分でもひしひしと感じられる。
慣れとは本当に恐ろしいものだ。
それも、危機感に対する慣れほど恐ろしいものはない。
ベッドから立ち上がった男がこちらに背を向け、椅子にかけてあった服を手に取った。
ベッドに転がったまま、どこか几帳面さすら感じさせる手つきで着込んでいく様子を眺める。
襟に隠れる、細い首。
今であれば、簡単にこの男を殺すことができる。
あの首を絞めてもいいし、すぐそこにある剣で掻っ切ってもいい。
どちらにしても、殺されたことを気付かせぬうちに殺すことができるだろう。
そうした方がいいのだろうかと、男の背を眺めながらぼんやり考える。
ハイランドにとって、あの男が死ぬことに対するデメリットは何もない。
メリットばかりだ。
それでも殺そうとは思わない。否、思えないのか。
「どうかしましたか?」
己の背に向けられる視線に気付いたのか、男が怪訝そうに振り返った。
視線が交わる。
「…いや、別に」
考えていたことが考えていたことだけに、気まずく、目を逸らせる。
それに勘付いたのかどうか、男が小さく吐息のみで笑った。
「貴方が何を考えていたのか、大体の想像はつきますがね」
「…別に何もしねぇよ」
「えぇ、分かってます」
目を逸らせたままぶっきらぼうに呟けば、口元に笑みを浮かべたまま男が頷いた。
何だか、この余裕の態度が腹立たしい。
どちらかといえば、己のほうが立場は上のはずなのだが。
きっちりと服を着終えた男が改めてこちらに体を向ける。
「そろそろ私は戻ります」
「…あぁ」
どこか釈然としないものを感じながら頷くと男が身を屈めた。
何事かと視線を上げれば、髪に軽く口付ける姿が映る。
そういえばこの髪が好きだと、一度言っていたような気がする。
もしそれだけの理由でここに来ているのだとすれば、酔狂すぎることこの上ない。
いや、どんな理由であれ、敵将に会いに来ること自体酔狂この上ないのだが。
「おやすみなさいませ、シード将軍」
「あぁ、じゃあな」
シーツに潜ったままひらひら手を振れば、丁寧に男が頭を下げた。
そして部屋を出て扉を閉める瞬間、微かにその口が動いた。
それはいつも繰り返される言葉。
「…俺自身は、「また」なんぞ一度も言ったことねぇんだがな…」
どう考えても異常としか言いようのないこの日々が日常になりつつある。
まるで約束をするように、いつも去り際に男がそう言うから、こうしてまた来てしまうのかも知れない。
だとしたら自分も相当な酔狂者ということか。
少しの間考えを巡らせていたシードは、しかし気だるい睡魔に誘われるまま瞼を下ろした。
恐らく来週もまた、ここに来てしまうのだろうことを予感しながら。
シュウシーの場合、クルガンとシードは多分ただの親友。
クルシーとルカシー、湯葉シー辺りは同時に成り立つけど、シュウシーは別物にしたい感じ。