ひんやりとした冷たさが、土についた膝から上ってくる。
この土の下はどれ程冷たいのだろうか。
きっと、酷く寒いのだろう。
「こんな時間に誰かと思えばおんしか、リオウ」
不意に頭上から聞こえた声。
ゆっくりと目を開けて顔を上げれば、枯れた木の上に座る少女の姿。
「シエラさん…」
「そろそろ人間は寝る時間ではないのかえ?」
日付も変わろうと言う時刻。
城の中も静まり返っている。
リオウが無言で目を向ける先には、真新しい墓石が一つ。
木の枝に座ったままのシエラも、それを目で追う。
「ネクロードにやられた者か?」
「…はい。でも…僕が殺してしまったようなものです…」
合わせていた手が伸ばされ、墓石に刻まれた文字をなぞる。
刻まれたばかりのそれは、勇敢な将の名と、彼が宿していた星の名。
「僕が弱かったから…。あの時、僕が逃げたりしてなかったら…」
きつく口を噛み締め、悔いるように吐き出される震えた声。
その様子を、シエラが赤い目でじっと見つめる。
それは彼女の知らぬこと。
死んだらしい人物も知らなければ、その理由も知らない。
まして、リオウの言葉が何を示しているのかも知りはしない。
ただ彼が何かから逃げ、結果誰かが死に、その事を酷く悔いている。
その程度のことは、彼の言葉から知れる。
「ほんに、おんしらは弱き生き物よのう」
その弱さを愛しむように。
微笑みながら呟いた少女は、音もなく土の上へと降り立った。
リオウが、己の前に立つ少女を見上げる。
シエラは、己の前に膝をつく少年を見下ろす。
「リオウよ。逃げることは悪いことではないのじゃぞ」
まるで神が託宣を下すかの如く。
腕を組んだまま、シエラが傲岸に告げた。
「何も前ばかり見ている必要はあるまい」
「でも…そのせいで…」
「おんしは、自分が逃げればその者が死ぬと分かっておったのかえ?それならば、おんしのせいじゃな」
反論しようとするのを許すことなく、シエラが言葉を重ねる。
声を荒げるわけでもなく、それでいて妙に威圧感のある声にリオウが口をつぐんだ。
代わりに、言われた言葉を頭の中で繰り返す。
その間にも、シエラは腕を組んだまま人差し指を一本立てて言葉を紡ぐ。
「未来など分からぬのじゃから、後悔して当然じゃ。こうすれば絶対に悪くなる、悪くなるかも知れない。それなら避ければよい。それが全く分からぬ場合、避けようがあろうはずもなかろう」
一息に言ってから、シエラはまっすぐにリオウの目を見据える。
「おんしは、逃げればその者が死ぬと分かっておったのかえ?違おう?ならば、それはおんしがどうこう出来る問題ではない。それをおんしのせいで死んだなどというのはお門違いであろう」
それは恐らく、何百年をも生きた彼女だからこそ言えること。
言っていることはリオウにも理解出来る。だが、納得が出来ようはずもない。
あの時逃げ出さなければ、彼が死ななかったという確信がある限り。
俯いたまま黙り込んでしまったリオウを、シエラが呆れたように見下ろす。
「たかだか15年ちょっと生きただけの童が、道を間違えたくらいで一人前に落ち込みよって。
このわらわでさえ、いまだに道を間違えるというに」
「…シエラさんも…?」
そこで漸く口を開き、リオウが顔を上げる。
月の紋章を宿す彼女は、この姿で800年以上の時を生きてきたと聞いた。
その彼女でさえ、いまだに己の進む道を間違えたりするものなのか。
驚いたように己の顔を見てくる少年に、永い時を生きてきた吸血鬼が目を細める。
「当然じゃろう。未来など見えぬのじゃからな。その時、己が正しいと思うことをするだけじゃ。
結果、間違っていたのなら後悔する以外にあるまい」
「あ…」
吸血鬼の紡いだ言葉に、リオウが目を大きく見開いた。
『貴方も私も全能の神ではありません。ただの人です。
その時に、自分が正しいと思うことをする以外、出来ることはないのです。』
あの狂皇子の最期の言葉が頭から離れなかった時。
状況こそ異なるが、その言葉を聞いた。
結局は、自分が正しいと思うことをするしかないのだと。
その結果がどうあれ、正しいと思うことを貫いた結果は享受するしかないのだ。
「尤も、逃げぬことをおんしが正しいことと思っておったのかどうか。それはわらわの与り知らぬことではあるがな」
何もかも完璧にしたい。それは夢物語でしかないのだ。
だからこそ、正しいと思うことを出来る限りするしかない。
シエラがそっと、微笑みながら脇にある墓石に触れた。
「この者も、おんしを恨んではおるまい。それよりこのことを糧に、強くおんしが前に進んでいくことを望んでおると思うがのう」
そして、どこか茶目っ気を含んだ眼差しを少年に向ける。
「おんしはもう少し、あの熊の図太さを見習った方が良いかも知れぬな」
思わず笑いを零したリオウは明るい表情で大きく頷いた。
「そう、ですね。ビクトールさんを見習わせてもらいます」
晴々とした返事に満足そうに笑んだシエラは、リオウを追い払うように軽く手を振る。
「分かったらさっさと休め。これからはわらわの時間ぞ」
「はい。シエラさん。ありがとうございました!」
立ち上がり、元気よく頷いたリオウは一度大きく頭を下げ、地上へ戻る階段へ歩いて行った。
その後ろ姿が見えなくなってから、夜の住民である少女が墓石に軽く寄りかかる。
「…おんしの想いは、間違いなく少年に伝えた。我が月の紋章に殺されし者よ。あとは生者に任せて休むがよい」
ぽぅ、と。
言葉に呼応するかのように、少女のそばで小さな光が瞬いた。
「幻想水滸伝2発売10周年祭」で書かせて頂いた作品。
第12週目お題「ティントにて」。
シエラ様の口調がちょっと怪しい。でも楽しかったから饒舌に。
きっとシエラ様なら、月の紋章に殺された人の魂と会話できる。
因みに途中に出てきた引用台詞は「戦いに想う」のシュウの言葉。