薄暗い天幕の中、蝋燭に火を灯すと、漸く安堵の吐息が漏れた。
いや、もしかすると、この疲労感に対する溜め息だろうか。
疲れきって椅子に座ると、急に深い血の臭いが鼻についた。
決して初めて嗅ぐわけではないが、慣れることなど到底出来そうにない臭い。
むせ返りそうなその臭いに、痺れたようになっていた脳が感覚を取り戻す。
ふと顔を上げれば、火の届かぬ暗がりに人の影がいた。
見覚えのある少年の恨めしげな、昏い眼差し。
「ひ…っ!」
ガタッと大きな音を立ててよろめき、立ち上がって後退ると、影は静かに闇に溶け込んだ。
「…な…何だ…錯覚か…驚かせやがって…」
額を流れた汗を手で拭い、自分に言い聞かせるように呟く。
暗がりを幾ら見つめても、少年の姿はどこにもない。
当然だ。少年は半刻ほど前に死んだのだから。死体をこの目で見た。
何が起こったのか、理解出来ないと言わんばかりに見開かれていた目。
あんなものを見たから、下らない錯覚などを見てしまうのだ。
椅子に座る気はしない。
改めて周囲を見回せば、光の届かぬあちらこちらの暗がりに少年達の姿。
見覚えのあるその顔が、見たことのない恨みがましい表情を浮かべている。
ごくっと息を呑み、たじろぎながらも彼らを睨み返す。
「何だ…何か文句でもあるのか…?」
やや上擦りながらも声を絞り出すと、恐怖は多少薄れた。
「これは都市同盟を潰すための、ルカ様の壮大な計画だ。
お前らもハイランドの人間なら、その祖国の偉大なる礎になれたことを感謝しろ!」
自分でも勝手な言い分だとは分かっている。そんなもので殺されるなんて堪ったもんじゃない。
自分なら絶対に嫌だ。
国のために死んでどうなる。生きていなければ、意味などないではないか。
怒鳴り、乱れた呼吸を肩で整えていると、天幕の外で甲冑のぶつかる音が聞こえてきた。
その音は自分のいる、この天幕の止まった。
「ラウド殿。声が聞こえましたが、どうかされましたか」
いつの間にか、天幕の外の見張りに聞こえるほどの声を出していたらしい。
「いや…何でもない。驚かせて悪かったな」
「ならばいいですが…」
どこか不審げな兵を適当に追い払い、改めて周囲を見回す。既に少年達の影はない。
そろそろと椅子に座り直し、声をかけられたことでやや冷静に戻る。
どれもこれも見覚えのある顔。つい数刻前まで共にいた顔。だが二人足りない。
誰がいなかったか。簡単な引き算だ。
「リオウとジョウイか…」
滝壺へ飛び込んだ二人。この二人だけはその死を確認していない。
恐らく助かりはしないだろう。だが絶対とは言い切れない。
もし生きていれば?
あの二人は、この一連の事件の真相を知っている。それを言い触らされでもすれば厄介だ。
たかが子ども二人の戯言。だが保険をかけておくに越したことはない。
助かればあの二人はどうするか。
普通に考えれば、キャロに戻ってくるだろう。家と家族がある。
ならば話は簡単だ。
「全滅させられた少年部隊。生き残った二人は同盟国のスパイ。陳腐な筋書きだが、悪くないな」
そうしてスパイの二人を捕らえ、処刑してしまえばいい。
口にしてしまうと、段々とその気になってきた。目撃者はいてはならないのだ。
しとしとと、いつの間にか雨が降り出した。
どうにも恨めしげな雨だ。そう感じるのは、罪悪感を感じているからだろう。
「運が悪かったと諦めてくれ」
寝食をも共にした部下だ。可愛くなかったわけでもない。
だが自分の野望のためには仕方のないことだ。
野望というには小さすぎるが、しかし捨てるわけにはいかないもの。
人が叶えてくれるなら構わないが、そうでないのだから自力で何とかするしかない。
例え部下を裏切ってでも。
「これで二人の体がどこかに上がってくれれば、俺の地位は安泰だな。
尤も、あの急流じゃ見付からないかも知れないが」
昇進は既に決まったも同然。あとはその地位で適当に上手くやっていれば、自然と金は入ってくる。
その生活を思い描いてにやにやと笑いかけ、大切なことを思い出す。
「おっと。幾ら金だけがあっても仕方ないな。早く、腕のいい医者を探さないと」
それも目を治せる医者だ。そうそういるとは思えない。早めに探し始めた方がいいだろう。
「もう少しの辛抱だからな」
キャロの町に残る、唯一の肉親を思い出す。一日でも早く目を治してやりたい。
暗がりに目を向けても、恨めしげな少年たちの姿は既にない。
「幻想水滸伝2発売10周年祭」で書かせて頂いた作品。
第一週目の「始まり、キャロから脱出」。
やっぱりラウドのことも書きたいなぁ、と。良くも悪くも、物凄く人間らしいキャラ。
こういう一面もあっていいかな、とか思ってみたり。