流石に少し疲れた。ずっと怒鳴り続けていたせいで喉が痛む。
時間は惜しいが、少しでも体力を回復しておきたくて部屋の方へと足を向けた。
回廊を歩けば先までの騒々しさが嘘のように消えうせ、人一人としていないそこはまるで廃墟を思わせる。
そして己のその発想に苛立ち、舌を打つ。
少し重さを感じさせる体で階段を昇っていると、反対に下へと降りてくる足音が聞こえた。
何とも規則正しいそれは、もしかすれば自身の足音よりも馴染み深い。
「そっちはどうだ」
向こうも此方の足音を聞き分けたのだろう。その姿が見えるより先に声だけが届いた。
踊り場へ辿り着いて曲がったところで漸くとその姿が視界に入り込んだ。
「上々だ。予想していたよりも倍近くもバカがいる」
一週間ほど前、第三軍・第四軍の兵に解散を命じた。
実質、既にハイランドという国はないも同然だ。形骸、というのが一番近いだろうか。
その過去の妄執に囚われ、最期まで戦い抜く事を決めた己はバカなのだろう。
そしてそれに付き合ってくれるこの幼馴染みも。
だが部下をその自己満足に巻き込み、殺すわけにはいかない。だからこそ任を解いた。
兵の中には家族を持っている者も多い。年老いた親や幼い子ども、恋人がいる者も決して少なくないだろう。
彼らと共に国を出ればいいと、そう告げた。
ただ残る者も少なくない、というのが二人の予想であった。
肉親がおらぬ者も軍には多い。大切な人を同盟軍に殺された者もいる。
自分たちのように、家族がいて尚、残るようなバカもいるだろう。
実際、4分の3ほどは国を出た。しかしそれは裏を返せば、4分の1も兵が残ったということでもある。
命を粗末にするなと言いたいところだが、肝心のそれを言うべき己が残るゆえにそれも出来ない。
残った兵を見回し、ただ苦笑するだけだった。
そうして命を預けてくれた彼らを―――一人でも多く命を失わせたくない。
そのためには最善の準備をしておく必要がある。
だから決戦を翌日に控えた今日も、一分一秒を惜しんで声を張り上げていたのだ。
「とうとう明日、だな。布陣を見たか?」
屋上に出れば、ルルノイエを囲う城壁の向こうに同盟軍が見える。
昼過ぎに見たその光景を思い出しつつ問えば、予想通りクルガンが頷いた。
「見事なものだな。これだけ数の差があろうと、こちらを潰すより城内に入る事を目的としている」
「防ぐのは難しい。が、こっちにとっても好都合か」
一点を攻められれば防ぐことは難しい。だが被害は最小で済む。
どのみち兵の数の差を考えれば元より防ぎきれるわけがない。
こちらとしても不利ながら都合はいい。向こうとしてもそれは同じなのだろう。
被害を最小限に。その一点においては互いの意見は一致しているらしい。
「実際布陣を見てこっちの変更は?」
「ない。当初通りの陣形で出る」
「了解。真っ向からぶつかってやる」
こくりと頷き、脇を通り抜けようとして―――腕を掴まれた。
何事かと首だけを其方へ辿らせれば、真っ直ぐに此方を見つめてくる青灰とぶつかった。
「後悔は、してないか?」
まさかこいつに言われるとは思わなかった。
もし、その言葉を口にするとすれば自分が、こいつに向けてだと思っていた。
何故なら自分はこの国と運命を共にすることこそ本望であったし、こいつはその俺と運命を共にするだけであったのだから。
意外さに目を瞬かせるも、腕を掴む指の力もこちらを見てくる眼差しも弱まらない。
困惑したように眉を顰めてみるも―――時間が勿体無く思えて小さく息を吐いた。
こんなことをしている時間が惜しい。
「後悔はしてないが…やっぱ、時間が全然足りなかったと思って」
諦めたように告げればクルガンが怪訝そうな顔をした。
勿論、迎え撃つ準備の時間じゃない。
そうでなくて―――個人的に、まだまだ時間が足りなかった。
よくよく考えればまだ26歳なんだな、とか。
将軍としては当然のことながら、軍の中でも充分に若い方に含まれる。
何しろ成人してから10年と経ってはないのだ。
そして人生の半分以上を国のために生きている。
まぁ、それはいい。
後悔はしてないし、決して長くはないこの人生の大半を国に捧げることが出来た、というのは寧ろ嬉しくさえある。
ただ…矢張り色々としたかったことはある。時間が足りなかった感は否めない。
それは自分自身のことであったり、仕事のことであったり。
一応子どもが欲しかっただとか、どうせならもっと高い酒を飲んでみたかっただとか。
こいつと行ってみたい場所があったりだとか。
それでいて、生き残ろうという気がないのだから呆れてしまう。
「でも…だから…絶対に後悔はしない」
「そうか」
そっけない、たった一言ながらそこには笑えるほどに安堵の色が見える。
「そういうお前こそ後悔してないのか?何も俺に付き合って死に臨むことはないんだぜ?」
こいつが実は、然程国に執着がないことくらいとっくに知ってる。
ただ不思議なまでに俺に執着してるから…何故かは全く分からないのだが。
俺がこの国に殉死し、こいつが俺に殉死する、といったところか。
恐らく城に残った兵の中で、尤も国への想いが薄いのはこいつだと思う。
その、最も愛国心の薄い奴が微かに笑みを浮かべる。
「最期までお前と共に在れるんだ。後悔する理由がどこにある?」
―――知将と名高いこいつだが、本質は莫迦だと思う。しかしこの言葉が心底嬉しいのも事実で。
矢張り俺は困ったように苦笑することしか出来ない。
「よく分からないが…お前がそれでいいんなら俺がどうこう言うことじゃねぇし」
確かに遣り残したことは多い。
でも、それでも…こいつが俺のために一緒に死んでくれるというのなら、未来を捨ててもお釣が来ると本気で思う、俺のほうがやっぱり莫迦なんだろうかな。
最終戦争の前日ストーリー。
うちのシードは基本的に鈍い人なんで、クルガンのことを分かってるような分かってないような。