7.もう涙なんて枯れ果てたと思っていたのに

その報告を聞いたのはクルガンの部屋で酒を飲んでいるときだった。
仕事をする気が起こるはずもなく、眠気も今夜は訪れてくれるはずもなく。
それを見越してだろう、酒でも飲まないかと誘われた。
一も二もなくその話に飛びついた俺に出されたのは、以前から飲みたかったものの値段の高さに諦めていたもので。
何も考えたくないがために、折角のそれを碌に味わう事もなく水のように飲み、意味のない話で過剰なまでに笑った。
いつものように、もっと味わって飲めと諫めてくれたのが嬉しかった。
「そうか。ご苦労だったな」
報告に来た兵を下がらせ、執務室から私室へと戻ってくる。
「―――ルカ様が、戦死された」
ご丁寧に報告してくれなくても、こんな時間に兵が来たんだ。そんなことは分かっている。
「―――どんな、最期だったんだ…?」
声が震えるのを抑えようとすれば、自然それは低くなった。
今までずっと酒を飲んでいたにも関わらず、激しい渇きを覚えてグラスを呷る。
「…壮絶だな。全身を矢で射られ、それでも尚、剣が折れるまで戦い続けたらしい」
これが裏切りの代償。激しい頭痛と吐き気に襲われる。苦しい。
この国のために主君を裏切った。彼を殺すために卑怯な罠を張った。死ぬのは火を見るよりも明らかだった。
だから覚悟はしていた…にも関わらず、現実に聞くそれはあまりに重く、冷たい。
最期まで、死ぬ瞬間まで全身を矢で穿たれたままに剣を振るう姿が容易く想像できて―――そのあまりの壮絶さに眩暈を覚えた。

目の前に心配そうなクルガンの顔が見える。何故その向こうに白い天井が見えるのだろう。
椅子に座って見えるのは暗い闇を湛えた窓だったはず。
「シード、大丈夫か?」
手の中に握っていたはずのグラスはない。漸くベッドに横になっていることに気付いた。
「黙り込んだと思ったら急に椅子から崩れ落ちるから…」
「あ…、悪い…。息が、出来なくて…苦しくて、目の前が暗くなって…」
多分本当に呼吸することを忘れていたのだろう。
酸欠で、しかも無意識のうちに呼吸を止めて倒れるだなんて情けなすぎる。
未だ治まらぬ気分の悪さに大きく息を吐き出し、鈍い痛みを訴えてくる目を手で覆う。
「―――そう、か…」
ぽつりと呟く。怪訝な顔をしたのか頷いたのか、クルガンの顔は見えない。
「どうせなら見たかった…、な…?」
不意に瞼が熱くなったことに焦る。この感覚には覚えがある。
それを堪えようとして…失敗した。
閉ざしたはずの目から熱いそれが溢れ出てきて、覆う手を少しずつ濡らしていく。
「シード…?」
驚いたかのような声に、これが錯覚ではない事を知る。
最期に泣いたのは8年ほど前か。その時に起こった戦争で妹一人を残し、家族が死んだ。
あのときに散々泣いて…彼果てたかと思うまでに涙を流した。
本当に、そのときに全ての涙を流し尽くしたかのように、以来何があろうと泣いたことはなかった。
部下や副官、士官学校の友人―――…多くの人間が死んだり、それなりのことがあったりもしたが、あるのは胸の痛みだけ。
一滴たりとも涙が流れることはなかった。
「シード…大丈夫か…?」
心配したように伸ばされた冷たい手が、熱を持った頬に触れる。それが心地良い。
何故…泣いているのだろう。何より大切なこの国を滅ぼそうとした人…それが死んだだけだというのに。
彼の存在は一体自分にとってどのようなものだったのだろうか。
罪悪感や憤り、―――そんな単純ではない、自分でも理解の出来ない涙。
目を覆う手ごと、クルガンが頭を抱きしめたのが分かった。

「―――…」
クルガン、と名を呼ぼうとして止めた。
半端に開かれた口からは喘ぐかのような呼吸音が聞こえる。
嗚咽混じりの震えた声を聞かれたくなくて名を呼ぶのを止めたのに、引き攣るような喘ぎが漏れちゃあ意味ないだろ。
内心で毒付き、舌打つ。
代わりに伸ばした左手を、縋るかのようにクルガンの背に回して服を握り締めた。
「今、だけだ…」
今更声を隠しても仕方がないと思い、発した言葉は意に反して確りとしていた。
嗚咽は漏れず、声も震えてはない。寧ろ常よりも落ち着いてすら聞こえる。
何故だかそのことが苛立たしい。
「ああ、分かってる。―――よく、頑張ったな」
何を頑張ったのか聞こうとして―――止めた。今度こそ情けない声が出る気がした。
そういえば一週間ほど前に言っていた。目を逸らすな、確り受け入れろ、と。
ならばこれはその結果か。
頑張った結果、その緊張の糸が緩んで抑え込んでいた様々な感情が溢れ出てきたとでもいうのだろうか。
「今だけ、だから…」
そして俺は何を言っているのだろう。今だけ―――何だというんだ。「泣くことが今だけ」?
その台詞は覚えてる。8年前にも言った。全然『今だけ』じゃない。
なのに俺の口はそんな考えを無視して情けない声で、壊れたように同じ言葉を繰り返している。
自分の感情も行動も、涙の理由も何一つ分からずコントロールも出来ぬままに、それでも枯れ果てる事もなく、不思議なほどにそれは零れ続けていた。

皇子死亡後な幼馴染みクルシー。
とにかく泣かさないとと思ったら、シードの頭以上に私の頭がごちゃごちゃに…。