5.繋いだその温もりが切なくて

相変らず天気はいい。ここ数日は気持ちがいいほどに空は澄み渡っている。
まだ少しばかり風は冷たいが、それもこの地方では毎年のこと。
眠気を誘うかのような陽気に小さく欠伸を漏らせば、不意に吹いた風の冷たさに少しばかり目が覚めた。
「まあ、世の中こんなもんだよな」
人が死ぬ度に雨が降っていれば毎日大雨、あっという間に世界は水の中に沈むだろう。
誰が死のうと天気には縁のないことだ。
ハイランドの中の人工物では最も高い場所、ルルノイエ城の屋上からでも見えない場所―――『そこ』へと目を向ける。
そろそろ時間だと思うのだが…もう終わったのだろうか。それともこれからなのだろうか。
考えれば考えるほど気分が悪くなってきてフェンスを背に、その場へと座り込んだ。
人の死には慣れている。
100や200じゃすまないほどの人を斬り、または焼き殺してきたし、友人や部下も多く死んでいる。
戦場で生きる者にとって死は常に付き纏うもの。
にも拘らず、軽い眩暈と嘔吐感に襲われては自己嫌悪に陥る。
冷たさを含む、乾いた空気に安堵しつつそれを肺に吸い込む。
感じるはずのない、ここまで届くはずのない血の匂いがする気がした。
馴染み深い、身に染み付いたそれは鉄臭さよりも甘ったるさを感じさせた。

耳に届く、重く軋む金属音。屋上と城内とを繋ぐ唯一の扉を開閉するときの音だ。
そこから姿を見せたのは予想通り、幼馴染みの相棒。
「今、処刑が済んだそうだ」
「―――そう、か…」
開口にての第一声に、思わず息を止めてから溜息と共に小さく呟いた。
執行され連絡がクルガンへ、そしてクルガンが彼の部屋からここに来るまでの時間を考えればまさに血の匂いを感じた頃か。
処刑所からここまでは随分と距離がある。匂いが風に乗って届くはずもない。となれば偶然の錯覚か。
そんなことを考えながらその方向へと目を向ける。
「一角の将が…戦場で死なせてもらえずに罪人と同じ場で処刑、か」
性格のほうは然程好きではなかったものの、完全な実力主義の中で1つの軍団を任されていただけあり、それなりの力量ではあった。
無能とは程遠い人物であったが―――それでも2度の失敗で罪人扱い。それが無念でならない。
かつての直接の上官を思い出す。
「こんなことを続ければ…」
「シード」
続く言葉を口にさせまいと、遮るように諫める口調で強く名を呼ばれる。
「…お前にだけだ」
愚痴を途中で遮られ、不満げに口を紡ぐもぽつりと呟く。
こいつが俺を裏切るなんてこと、絶対にありえないから。
「壁に耳あり障子に目あり、だ」
「この城に障子なんざあるか」
「言葉の綾だ」
呆れたように零された言葉に、揚げ足を取るかのように半目で睨みつつ言葉を返せばしれっと当然のようにそう言い放ちやがった。
相変らず口のうまい奴だ。

「もし、さ。俺が団長みたいなことになったら…どうする?」
暫しの沈黙。吹く風が止むのを見計らったかのようにタイミングよく静かになったところに問いかける。
別に狙ったわけではないが、不意に静まった空間によく響いた。
「仮定など…」
「するだけ無駄だ、って言うんだろ。現実に不可能な仮定なら分かるがな、これは可能性としてはゼロじゃないだろ」
例え話を持ち出すたびに言われたもんだからいい加減耳にタコができそうなその言葉を先取りして、尚且つ先手を打っておく。
案の定、小さく溜息を漏らしたもののクルガンは考える素振りを見せた。
「直談判―――いや、その場で直ぐに反論するだろうな」
「その結果、どうなっても?」
「我が身可愛さにお前を見捨てるわけがないだろう」
返された言葉に満足げに笑みを浮かべ、続けた質問に返されたそれも充分に満足のいくもので。
嬉しさに頬を緩めたところで再度クルガンの口が開いた。
しかし先の己とは反対に、タイミング悪く吹いた風に声が飛ばされた。
静けさに慣れかけていた耳に、それは騒音に近しく。
それでも、彼が言ったことは容易く知れる。伊達に20年も一緒にいない。
「当然、その場で喰ってかかるさ」
再度、その薄い口唇が開く。
声は出ていない。しかしその動きと瞳を見れば考えるもなく。
『その結果、どうなっても?』
「お前を見殺しにするくらいなら、一緒に処刑されたほうがよっぽどマシだ」
いつものような、笑いながらの本心、軽口のやり取り。
それがいつもと違い、どこか乾いて感じるのは何故なのだろうか。

「さて、そろそろ戻るか、これからは…忙しくなるぞ」
団長がいなくなったから、と言いたかったのであろう空白を読んで頷く。
立ち上がろうとした眼前に手を差し出され、目を瞬かせてそれを見つめる。
それからおずおずと手を伸ばしてそれを握り締める。
途端、立ち上がるのを助けるかのように腕が引かれた。それを弾みに立ち上がる。
「―――、どうした?」
立ち上がったにも関わらず、歩くでもなく手を離すでもなく…じっと動きを止めたのにクルガンが怪訝そうに問いかけた。
「―――…いや、何でもない」
暫し握り締めた手を見つめていたが、耳に届いた怪訝そうな声に笑みを浮かべて手を離す。
そして扉へ向かうべくクルガンの隣を通り過ぎた。
一瞬の後、己の足音にもう一つの聞きなれた足音が続く
。恐らく彼は不可解だと言わんばかりの表情をしているのだろう。
しかし解らないのは己も同じ。
何故手を握ったとたんに言いようのない悲しさがこみ上げてきたのだろう。
自分でもそれが理解できずに首を捻る。
少し考え、しかしそれを知るための努力をあっさり放棄する。どうせ己の感情を知ることなど出来やしないのだ。
今わかるのは二つだけ。 人が死のうと空はどこまでも澄み渡り、繋いだ手が何故か切なかっただけ。

ソロン様処刑前後の話。
互いを見捨てるくらいなら一緒に死ぬ事を選ぶ二人。