4.来年もなんて約束はできない

「3、2、1…」
カチ、と微かな音を立てて目の前で秒針が12を指し示す。
同時に聞こえてくる細くたなびく音。
一瞬の無音の後に耳に届く炸裂音、窓から入り込む鮮やかな光の渦に人々の歓声。
「明けましておめでとう」
同時に手にしていたグラスを傾ければ、高く澄んだ音を立てて深紅が揺れる。
「今年も無事、暖かい部屋で新年を迎えることが出来たな」
味わっているのかどうか、あっという間にグラスを空けたシードはそれをテーブルに置きながら機嫌よく言った。
確か3年前だったか、年を跨いで遠征に行った事があった。
あの時は例年にも増して寒さは厳しく、腿にまで積もった雪を掻き分けての進軍は散々であった。
本来なら酒でも一杯やりながら、また家族と暖かな場所で迎えるはずの新年。
それを寒い雪の中、国のためとはいえ軍の士気が下がるのも無理からぬ話である。
そのときの事を思い出せば、自然機嫌もよくなるというものだ。
暖かい部屋、美味い酒、それと大切な親友―――これで機嫌が悪くなるはずもない。
空のグラスに2杯目を注ぐべくワイン瓶に手を伸ばそうとして、しかし深緑のそれがついと遠ざかった。
目の前で持ち上がったそれの口がテーブルの上のグラスの縁に当たるかどうかというところまで傾き…濃い赤が流し込まれた。
「国が平和なのは喜ぶべきことだ」
「ちょっと物足りない気もするがな」
ジョウストン同盟軍と休戦協定を結んで以来、戦争というほどに大きな戦はない。
精々が異民族の反乱といった程度のものだ。
自分は戦うことは好きだ。
クルガンなどは余計な労力を使うのを嫌うが…剣を振るのは一つの生き甲斐であると言ってもいい。
人を殺すことこそ本意ではないが、国を守るためなら幾らでも罪と怨みを背負える。
窓の外へ目をやれば、いまだ大きな音とともに鮮麗な花火が上がっている。
繊細な細工が施されたグラスに半分ほどワインが注がれれば、それを手に取る。
口唇を湿らせる程度だけを口に含んで隣を見れば、そこにあるのは優しい青灰。

「去年は俺の部屋で酒を飲んだんだっけな」
寒々しい3年前の記憶を追い払い、暖かな昨年の記憶を引っ張り出す。因みに2年前はといえば、互いに家へと戻っていた。
「そうだな。昨年はお前の部屋で同じように過ごしたな」
折角だから何か食べに行こうかとも誘われたが、どちらかといえば部屋でゆっくりしたかったのだ。
ギリギリまで仕事があって疲れていたせいもあるのだろうが、慣れた場所で静かに2人だけで酒を飲み交わすほうが魅力的であった。
それに味をしめて、今年もこうして2人で酒を飲み交わしているわけだ。
普段ともに酒を飲むときはきちんと椅子に座って机を挟み向き合うのだが、今日はその机を引き寄せてベッドに並んで座っている。
「そういや小さい頃によくこうやって話をしたよな」
この構図にどこか見覚えがある気がした。
小さい頃はよく互いの家に遊びに行った。
シード自身は兄弟が多かったのでそんな事こそ出来なかったが、一人っ子で自分だけの部屋を持っているクルガンの家へ泊まりに行ったときには2人して彼のベッドに潜り、こっそり持ち込んだお菓子とジュースを手に一晩中話をしたりしたものだ。
「ああ、あれは楽しかったな」
当時のクルガンに言わせれば、友達らしい友だちがいなかっただけに、ああいった事も今までしたことがなかったらしい。
子どもにとっての3歳差というのは大きいが、それを障害としなかったのは己の人見知りや物怖じをしない性格と、クルガンが他に相手がいなかったからではないかと密かに思っている。
だがそのおかげで今はかけがえのない親友であり相棒―――生涯の伴侶となることが出来たのだから、寧ろ己の性格と当時のクルガンの環境に感謝するべきかも知れない。
といえば不謹慎かも知れないが―――クルガンが元より内向的な性格で本を読んで知識を得るということが苦痛でなく、それどころか楽しくすらあったというのだから気にする必要もないだろう。

「―――俺さ、正式に入軍して以来気楽に言えなくなったことがあってさ」
グラスを片手に、隣に座る相棒の肩に凭れ掛かる。
あまり体を動かすことがなかったからであろう、初めて会ったときは同年代の子どもに比べると小柄なほうであったクルガンだが、当時標準的な体格であったであったシードよりも今は大きい。
何となくそれが悔しくもあるのだが、こればかりは仕方ない。
「ほら、子どもの頃ってよく『また明日』って言ってたろ?」
子どもなんてのはほとんど毎日遊ぶわけで、そのメンバーとて代わり映えしない。
だから『また明日』なんてのは当然の挨拶。
「でもさ?俺らなんてのはまともに明日があるかどうかなんて分からないわけだろ?」
「まあ、言ってみればそうだな」
出軍命令などいつ下るか分からない。
無論死ぬ事を考えて戦場に赴くことなどないが、それでもその覚悟が必要なのは事実。
例えどれだけの腕を持つ者であろうと、こと戦場において“絶対”はありえない。
それが常勝将軍の名を持つ者であれ、100%生きて帰れるという保障はどこにもない。
「そう思ったら…『また』ってことを言いにくくなってさ」
そういえば「また明日」といつもと同じように夕方別れた友人と二度と会えなかったことがある。
別れた後に、帰り道にある川に落ちたのだ。
前日の大雨で川べりは滑りやすくなっており、また水嵩も増し、勢いが強くなっているのが原因だった。
多分、初めに『また』という言葉に違和感を覚えたのはその時。
かみ合うはずの歯車がどこかで僅かな狂いを生じたかのような気持ちの悪さ。理由のない焦燥感。
「なら約束なんてあってないようなもんだよな。約束のない生活ってのは多分できないが…それが実際に守れるかどうかは全く分からないんだからさ」
話を聞きつつグラスを傾ける相棒をちらりと見遣る。
その向こうの窓の外では何時の間にか雪が降り出している。この雪は恐らく直ぐに止むだろう。
視界の端に、黒の中緩やかに落ちてくる城白を見つつクルガンへと向き直った。
「だから『また来年も』なんて約束はしないが…来年も、こうして一緒に過ごせるといいな。これは俺の希望だ」
「―――そうだな。私も、今みたいにお前とまた新年を迎えたいと思う」
柔らかな笑みと共に向けられた言葉。
それがまるで絶対の力を持っているようで、根拠もなしに現実になる気がする。
少し寒くなったように思えてクルガンへと身を寄せる。
デュナン統一戦争が勃発する数ヶ月前のことである。

最後にあるようにゲームスタートの数ヶ月前の話。
二人がくっついたのかどうかはご想像にお任せ。