3.そうやっていつも誤魔化していた

シードが将軍となり、2人で第四軍の副将へと着任して1年が過ぎた。
彼が当時21歳ということは当時己は24歳で、その更に1年後であるから現在は25歳である。
所謂“結婚適齢期”というやつで、次から愚痴へと貴族の娘との縁談話が持ち上がっている。
ただの平民であればどれだけ才があろうと見向きもしないだろうに、そこに『将軍』という肩書きが一つつけばこうも違うらしい。
明け透けなその態度の違いを侮蔑しているせいも理由の一つであろうか、彼女たちには何の興味も湧かなかった。
きちんと身持ちを固める事も親孝行の一つなのだろうが、幸か不幸かただ一人の肉親である母は意外と気性が荒くそうした連中は好かないらしい。
誰かの力を借りることなく、再婚もせずに女手一つで幼い子をここまで育て上げただけはある、と我が事ながらに思う。
母はまだまだ元気で、本来の目的通り息子、クルガンを―――文官でこそなかったものの、城に勤めさせてからも働いている。
そんな母がいざという事態になるか、母も己も気に入るような相手を見つけるまでは結婚などしたくない、というのが正直なところ。
今のままで不満はない。特にバックアップがあるわけではないが、それが必要となるような場面はまだない。
そして恐らく、この先もないだろう。
元は文官を目指していただけあって将軍連中の中では優れている、と自負している。
誰かに助けを求めるような事態に陥る前に自力で何とかできる自信があるし、金面の問題であれば、それが正式に必要なものである限りほぼ間違いなく主君であるルカ・ブライトその人自らが工面するだろう。
女が苦手や嫌いというわけではないが、別段結婚したいという理由がないし、その必要性も見当たらない。
それゆえに幾ら縁談話が入ってこようとも、それを受けようという気持ちには到底なれなかった。

扉がノックもなしに開けられる。部屋に入ってきたのは想像するまでもなく赤毛の男。
文官になろうとしていた自分が軍に籍を置くことに決めた原因でもある、16年来の幼馴染み。
出逢ったばかりの僅か4歳だった彼の夢は将軍になって国を守ることだった。
そして彼は無邪気に、そして当然のように言い放った。「そのときは隣にいろよ」、と。
そのたった一言が、今自分がここにいる理由だとこの男は気付いているだろうか。
否、多分覚えてすらいないだろう。
最後に平民出身の将軍が出現したのは、自分が生まれる30年以上前の話。
ほとんど夢想のようなその夢を、それでも叶えさせてやりたかった。
その道を切り開くために軍に入ることに決めたのだといえばどんな顔をするだろうか。
結局はその前に軍事権がルカ・ブライトへと変わったことによって平民出身でも将軍になれる、実力重視になったわけだが―――後悔はない。
この赤毛の男は自分にとってそれほど大切な、弟のような存在であった。
「クルガン?今、暇か?」
「見て分からんか。書類を整理しているところだ」
目の前の机を指差せば、その先には書類の山。
この書類整理というのは、己がすべき仕事ではない気がするのだが…まあ、仕方ないだろう。
こちらの返事に構わず、我が物顔でソファに座り込んだシードは大きく伸びをしながら欠伸を漏らした。
「部屋にいると仕事をしろってジュリが煩くてさ」
だから逃げてきた、と当然のように話して3人掛けの大きなソファに横になる。
―――確かに剣の腕はかなりのものだし、戦場では間違いなく幼い頃の望みどおりこの国を守っている。
しかし事務仕事も重要であり、それをしなければ内部から国を傾けかねないのだとこいつは気付かないのだろうか。
「だからちょっと寝かせてな」
「シード」
どこまでも自由奔放なこの男は、こちらの諫める言葉など露ほどにも聞き入れずに寝る体勢に入った。
こういうところは子どもの頃と変わらない。
早くも寝息を立て始めたシードに呆れと、幾許かの感嘆が入り交ざった溜息を吐いて椅子から立ち上がった。

肘掛けに座って寝顔を見下ろす。
流石に今は女に見えないが…それでも女のような顔立ちをしている。
髪の色こそ派手であるが、顔立ちそのものはすっきりとしている。
軍人らしく、しっかりと筋肉がついているくせに矢張り線は細い。
少し長めの、柔らかくクセのある髪をそっと梳く。
精神的に子どもの頃より強かったが、最近はそれにますます磨きがかかった気がする。
戦場に出て人を殺し、殺され―――ましてや将軍ともなれば部下の命を預かることとなる。
精神的に強くなければやっていけないのは事実だが、どうも少し無理をしているように見えて仕方ない。
元々感受性も強かっただけに…少し気をつけて様子を見ておいたほうがいいだろう。
そこまで考えてから、完全に親か兄のような気持ちになっていることに気付いて微苦笑を浮かべる。
それからゆっくりと、その感情を否定する。
何時の頃からか、と尋ねられれば答えられないというのが正直なところだろう。
もしかすればあの直感を感じた16年前からなのかも知れない。
それが明確な形として現れ始めたのはつい最近。頻繁に縁談話が持ち込まれるようになってからだ。
多分―――それまでにも何度かうすうすとは気付いていた。ただ気付かない振りをして目を背け。
これは『兄』として『弟』に向ける感情だと、そう思い込もうとしていた。
押し込めたはずのその感情が、想いが顔を覗かせる度にそう思い込もうとして、誤魔化してきた。
しかしそれもそろそろ限界かもしれない。
これから先も、こうして共にあるのなら…どうして、それを隠して何年もいられるだろうか。
生憎とこの赤毛の青年相手に隠し通せる自信はない。
こちらがこいつのことを熟知している分、こいつもこちらのことを熟知している。
こいつは鈍いように見えるが、その実結構洞察力がある。
「さて…どうしたもんかな…」
ありとあらゆる可能性を模索するが、この男は昔からこちらの常識に当てはまらない反応をする。
だから予想など意味はないのである。
尤もそれが楽しく、また時折あまりにお約束な反応を見せるからこそ尚更に面白いのだが。
安心しきったような、まるで子どものような寝顔を見下ろし、柔らかな笑みを浮かべたクルガンはその額へとそっと口唇を押し当てた。

クルガン視点からのクルガン→シード。