10.幸せだった、本当に

扉の開く音、走り出した6つの足音が遠ざかっていく。
「クル、ガン…まだ、生きてる、か…?」
まともに声も出やしない。声を発する合間に聞こえる、空気の漏れる音が耳に煩わしい。
隣に横たわる男へ目を向ければ、胸部が大きく上下しているのが霞む視界に見えた。
生きてるな、と確認して少しの後、「あぁ…」と微かな声が聞こえた。
あれは肺に折れた肋骨が刺さってるな、なんて思う間にも喉元に血塊がせり上がってきた。
咽るような咳と共にそれを吐き出す。
確実に内臓はイかれてるが、まだそれを吐き出すだけの体力は残っているらしい。
「後悔、してる、か?」
喉に絡みつく血痰と共に笑いを零しながら問えば、同じく笑うかのような呼気が耳に届いた。
尤も単なる呼吸音である可能性も高いわけだが。
「ま、さか…」
不明瞭な返事が返ってきた。心の中で「そうだよな」なんて相槌を打ってみる。

少しでも戦いを長引かせたかった。
ジョウイ様やジル様・ピリカがここから逃げる時間稼ぎだとか、この国の命を長引かせるためだとか、猛将と呼ばれた俺の下らない意地だとか、最期の戦いを終わらせたくなかっただとか、簡単に負けちゃ死んだ部下たちに申し訳ないだとか、新同盟軍の奴らに最期の餞別をくれてやりたかっただとか―――理由は色々。
どうせこれが最期なんだから、と二度と剣を振れなくなるんじゃないかというくらいに体を酷使した。
この城を燃やしたくはなかったから烈火の紋章を使うことはなく。
相手の魔法を封じるために『母なる湖』を発動させ、傷を治すことなど考えずにただ血を止め、痛みを消すためだけに流水の紋章を使った。
おかげで魔力はほとんど残ってないし、体もほとんど動かない。指一本動かすだけで全力を尽くしている気分。
辛うじて口が動くのはありがたい。
まだクルガンと話すことが出来る。それが何より嬉しい。
不明瞭とはいえ、まだクルガンの声を聞くことが出来る。それが何より嬉しい。
こんな状態でもそんなことを考えている自分に呆れないでもなかったが、どうせ死ぬ前のたった一つの望みと楽しみだ、構わないだろう。
ただ困ったことに何を話せばいいのかが分からない。
残された時間は少ないのだから意味のある事を話したいのだが、改めて今、それを考えれば思い浮かばない。
情けない現実に気が滅入りそうだ。
「お前、に…会えて、良か…た…」
考える耳に飛び込んできた言葉。驚いたようにぼんやりと天井に向けていた視線をクルガンに向ける。
「あの時…声をかけて、くれ、たこと…に、礼を…言う…」
本当に―――こいつは莫迦だと思う。最期に何を言うんだか。最期に礼を言うなんて反則だろ。
「気に、すんな」
出た声は意志に反して柔らかく、弱々しかった。

記憶力はそんなによくないけども、あのときのことはよく覚えている。
毎日毎日二本槐へと遊びに行った。あそこからはルルノイエ城が良く見えたから。
近道の路地に入る前の大通りを走っていたある日、誰かに見られている気がした。
このハイランドで赤い髪や赤い瞳は珍しいからよく見られ、だから人の視線には敏感になっていた。
初日は気にしなかった。2日目も。
3日目に気になってちらりとそっちを見た。二階にいた少年の銀の髪は日の光に反射してとても綺麗だった。
次の日も次の日もその視線を感じて、とうとう8日目に声をかけてみた。
いつも窓の向こうにいる彼と話してみたかった。好奇心は昔から旺盛で、どうしても気になったから。
時間を告げ忘れたにも拘らず、一方的な約束を守って彼が来てくれたときにはどれだけ嬉しかったか、こいつは知らないだろう。
3日目に初めて一目見たとき、運命めいたものを感じたなどといったら現実主義者のこいつは笑い飛ばすだろうか。
それでもその直感が正しかったのだと今では言える。
あのときからずっと共にあった。
年齢差から全く同じというわけにはいかなかったとはいえ、ずっと同じ道を歩み、今も尚こうして共にある。

「クルガン…本当に、幸せだったぜ…」
…なんだ、随分静かになったと思えば耳がイかれたらしい。
果たして今の言葉は声になっていたのかどうか。人間の体で一番最後まで生きているのは耳だって聞いたことがあったんだがな。
「後悔なんか、してない…」
あ、今のは確実に声にならなかったな。血痰が絡まってろくろく呼吸も出来やしない。そういえば視界も暗くなってきたな。
これでもう、俺の言葉はお前に届かない。
お前の言葉も聞こえないし、お前のあの綺麗な髪も見れないことが残念だ。
なあクルガン、お前はまだ生きてるか?俺に今、何か話し掛けてるか?
不思議なもんで、真っ先になくなりそうな触覚がまだ残ってる。
体がだんだん冷たくなっていくのが実感できるんだ。
どっかから―――体中から流れ出てる血が俺の指を濡らしていくのも感じる。
お前はどうだ?何が死んで、何がまだ生きてる?
こんなことなら、下らないことでももっと話しとけばよかったと思うぜ。これって後悔か?
最期の最期まで意識は残ってる。死の間際までこんなことばっか考えてる。
なあクルガン、あの世ってあんのかな?俺らは間違いなく地獄行きだよな。
―――もっともっと、下らない事を話そうぜ?
俺が死ぬ間際に思ったこととか、体験したこととか全部話してやるよ。
だからお前も話してくれよ?
お前とならどんな責め苦だって楽しめるかも知れない。
なあクルガン、こんな人生だったけど…本当に幸せだったんだぜ…?
何たって、死ぬ直前までずっと、お前が俺の傍にいてくれたんだから―――………

最終決戦、主人公たちが去った後。お題最終。
クルガンの片想いじゃ切ないんで…シードにも語らせてみた。
ほんとに後悔なく、幸せに二人で死ぬのが希望。