1.過去があるから現在(いま)がある

耳を聾するような歓声が湧き上がる。城門まで続く大通りには民衆が溢れかえっている。
その中を進むのはハイランド皇国第一軍団。
その中で更に先陣をきるのは第一軍団長であり、英雄とも呼ばれる人物、ハーン・カニンガム。
堂々たる態度は雄々しく、圧巻ですらある。
その姿を一目見ようと押し寄せる人ごみを掻き分ける少年が一人。
正確には赤毛の少年が大人の合間を器用にすり抜け、銀の髪を持つ少年の手を引くようにして前へと出る。
何重にもなった人垣を漸くと抜ければ、大通りの向こうのほうに一団の姿が見えた。
「間に合ったな」
ほっとして息をつく少年の隣で、銀の髪の少年が少しばかり乱れた呼吸を整えながらじろりと睨みつける。
「だからもっと早く出ようって言ったのに」
「ちゃんと一番前に来れたんだからいいだろ」
けろりと気にした風なく返した少年は、今日の朝がハーン将軍の凱旋だと分かっていながらに昨夜夜更かしをし、何度起こしても起きなかったのだ。
3歳年下の幼馴染みは細かい事は気にしないし、思い立ったら即行動、考えるという事をほとんどしない。
本能のままに生きている。
そして、こういう人種はほとんど学習能力がなく、反省という事をしない。
否、するのだが直ぐにそれをも忘れてしまうと行ったほうが正しいのであろうか。
長い付き合いでそのことを熟知している少年は、最早諦めたように口を閉ざした。
「おいクルガン、来たぞっ!」
がくがくと肩を揺さぶられ、名を呼ばれて我に返った銀の髪の少年―――クルガンは、幼馴染みの指差すほうへと目を向けた。
その視界に入るのは、黒を基調とした衣服と鎧を身につける人。
その途端に周囲から上がる嬌声。
反射的に耳を塞ぎたくなるくらいの大音量の中、隣に立つ少年は声を上げるでもなく、また興奮している様子もない。
ただ呆然と、何かに魅入られたかのように紅の瞳にその黒の人物を映している。
この騒がしい幼馴染みのことだ、きっとはしゃぐだろうと想像していただけにこの反応の全くの予想外であった。
手を伸ばせば届きそうなほどの近くを通り過ぎていく英雄には目もくれることなく、クルガンはただ一心に隣に立つ少年を見つめていた。

「シード?大丈夫か?」
ハーン将軍が目の前を通り過ぎ。
集まっていた人々が散らばり始めても尚、呆然としたままのシードを引っ張るようにしてクルガンは町の外れへ来た。
二本の槐が立つ広場である。町からは少しばかり遠く、この寒い時期には他の子どもの姿を見ることは先ずない。
しかしそれ以外の理由からも二人が…特にシードが気に入る理由がここにはあった。
「シード!」
体を揺さぶるようにして再度名を呼べばやっとその首が巡らされて、澄んだ紅玉がクルガンの姿を捉えた。
不安げに見守る中、シードの頬が紅潮していく。
「見…たかよっ!?すっげぇカッコよかったよな!?」
突然目を輝かせて、急き込んで身を乗り出してくるシードに今度はクルガンのほうが呆気にとられる。
どうやら感動のあまり、言葉もなく放心していただけらしい。
何となく損をした気分になりつつ、熱っぽく手を握り締めて語る3つ年下の少年を見る。
クルガン自身は横で放心状態であったシードが気になってろくろく見てないのだが―――あんな状態ながら、シードはしっかりと観察していたらしい。
どこか理不尽な気がしながらも、実に楽しそうに語る姿を見ていればそれも薄れ。
一人っ子のクルガンにとって弟のようなものである彼が、これほど活き活きとしているのを見て嬉しくならないわけがない。
一通り喋り終えたシードは満足げな表情のまま、左のほうを見遣った。
そこに聳え立つのは壮大な白亜の城。
シードがここを気に入っている一番の理由であるルルノイエ城へとクルガンも目を向ける。
町から離れているせいと、少し小高い丘のようになっているためにその姿はよく見える。
「なあクルガン、俺は軍に入ってハーン将軍たいになるんだ」
それは何度も聞いた話。
「シード、知ってるだろ?僕らみたいな平民は将軍になれやしない」
その度にこうして窘めてきた。
「そんなの関係ないさ」
自信に満ち溢れた言葉。
「お前もだぞ。俺とお前と、二人でこの国を守るんだ」
いつものやり取り。
その壮大すぎる夢物語を一体誰が信じただろう。

ゆっくりと瞼を持ち上げる。壁にかかった時計を見れば、先に見たときから僅か5分ほどしか経っていない。
軽く目を伏せ、今見ていた夢を思い出す。
意識を取り戻すと同時に手の中から水が零れてかの如く、急速に薄れていくそれを留めるべく少しずつ記憶を掘り起こしていく。
その作業は実に容易であった。何故なら夢の出来事は現実。遥かに遠い、12年近く昔の出来事。
だが―――夢には一つだけ間違いがあった。
あの時、ハーン将軍が黒衣を着ていたはずがない。
彼が黒衣軍とも呼ばれる第二軍団長となったのは数年前のこと。
当時はまだ第一軍団長であったのだから、基調となる色は白であったはずだ。
何故なら第一軍団の別称は白狼軍なのだから。
ゆっくりと思考を巡らすうちに右手にある扉が開いた。そこから出てきたのは赤毛の青年。
「どうだ?」
この男にしては珍しく、照れくさそうに近付いてくる。
その身に纏うのは、白と赤という派手な…しかし彼によく似合った儀典用の祭服。
「ああ、よく似合っている」
淡々と頷きながら、少し襟が歪んでいることに気付いて正してやる。
「うわぁ…何か緊張するな」
「何だ、お前でも緊張するのか?」
「当たり前だろ?俺を何だと思ってんだよ」
揶揄うように告げた言葉に憮然とした返事が投げ返される。
あの翌年、12歳になったクルガンは少年部隊へと入隊した。
そして3年後、特待生として士官学校へと入学した。
3年遅れて、シードも同じ道を辿る。
その後無事に士官学校を卒業したクルガンは、その2年後に全ての軍権が実力派である皇子、ルカ・ブライトに移ったことによって平民出身という素性や若すぎる年齢という最大の障害をものともせず将軍の仲間入りを果たすこととなる。
そしてその更に2年後、21歳になったシードも矢張りクルガンと同じように将軍となる。
その着任式が今日、これから。
「そろそろ行くぞ」
「おうよ」
時間を告げるクルガンに力強く頷いたシードは、新たな人生を歩むべく扉を潜った。

平民幼馴染み設定クルシー。
10題合わせて1つのストーリーながら、独立しても読めます。
ここから始まり10題、それぞれ時間の経過と共に書いてます。